うつを腸内フローラ改善と糖質制限で治すための方法ブログ

うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ改善と糖質制限、DHA)、運動と瞑想で治すための方法ブログです。

〈いのちの働き〉は満たされない「むなしさ」を解消するヒント

 当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

前回の記事では、はうつという心の問題を少しでも解決していくために、諸富祥彦氏の『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』を紹介しながら、生きることの<むなしさ>について考えてみました。

 

今回の記事では、『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』を取り上げながら、人生においてなかなか満たされない〈むなしさ〉を解消するヒントについて考えてみたいと思います。

 

前回、私は、どういうわけか「満たさない」「むなしい」「生きていることに意味はない」などと、つい思ってしまうのには、個人の心の問題だけではなく、個人の心をなおざりにした、産業中心・利益重視の社会構造も関係しているように思うと書きました。

 

そのため、ふとした瞬間に「生きることのむなしさ」を感じてしまうことは、自分の気持ちに敏感な人にとっては、ごく自然なことのように思います。

そして、前回のおさらいですが、その時々感じられる「むなしさ」を、「私たちの人生に何が欠けているかを告げ知らせてくれる貴重なメッセージ」として受け取ることが大切だと、諸富祥彦氏は述べていました。

 

 どこかむなしい。つまらない。

 心の底から満たされる「何か」が足りない、という心のむなしさ。

 時折おとずれるこの「心のつぶやき」を、私たちはふつう、何かよくないもののようにして、それから身を遠ざけようとする。

(中略)

 けれど、実はこれは、たいへんにもったいないことである。むなしさは、私たちの人生に何が欠けているかを告げ知らせてくれる貴重なメッセージだからである。

 だから、私たちのむなしさからの出発は、自分の内側で口が開けているそのむなしさから目を逸らさずに、きちんとそれを見つめることから始めなくてはならない。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p106~107

 

また、諸富氏は、「むなしさから目をそらさず、しっかりと見つめる」こと、そして、「あくまで自分自身の頭と心とからだとで、「生きる意味」をどこまでも問い求めていくということ」も、人生のむなしさという悩みを解決するために必要になってくるとしています。

 

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

むなしさを解決するヒント<いのちの働き>

ちなみに『〈むなしさ〉の心理学』を書いた著者の諸富祥彦氏も、若い頃、「「何のために生まれてきたのか」「どう生きればいいのか」という問いにつかれて悩み苦しんでいた」といいます。

しかし大学三年の時に、疲れ果てた氏は、観念してその問いを放り投げてしまったというのですが、しかし力尽き、「問いを投げ出した」ことで、「なぜか倒れることも崩れ落ちることもなく、立つことができている自分の姿」を見たと述べています。

 

そして、以下のように述べています。

 

 私はこれまで気づかずにきたけれど、この何かはずっと前からそこに与えられていた。私を生かし、私をあらしめ、私を成り立たしめてきた。つまりこの何かこそ、私の真実の主体なのだ。そして今、この何かがそれ自体で立っている。だからその結果、私も立っていられるのだ。

 この「何か」は「働きそのもの」である。あえて名前を付ければ<いのちの働き>とでも呼ぶよりほかない何かである。私の底の<いのちの働き>。(略)

 

 つまり私は、<いのちの働き>に生かされている。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p185~186

 

ここで、諸富祥彦氏が述べている<いのちの働き>とは、「私の底」に与えられている、「私自身よりも大きな何かの働き」のことです。

しかし、いきなり<いのちの働き>といわれても、漠然としているため、うまくイメージできないかもしれません。そこで諸富氏は、<いのちの働き>について以下のように説明しています。

 

 <いのちの働き>とは何なのか、まだ今ひとつよくわからない方もおられるだろう。

 けれど私が言っているのは、実は少しも難しいことではない。

 イメージのわかない方は、次のような場面を思い浮かべてほしい。

 いろいろなことが思うように運べばない。悩んでも悩んでも、ちっとも事態は変わらない。

 にっちもさっちもいかなくなって、死にたいと思うのだけれど死にきれない。自分の置かれている現実から逃げるわけにはいかないことがわかっている。

 けれどふと、あまりの重苦しさに耐えきれなくなって「もう、どうにでもなれ」「どうなったって、かまわない」と、すべてを投げ出してしまいたくなる。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p190

 

 そんな時私たちは、それでも自分のからだの内側に、ほのかに息づく何かを感じることがある。死のうが生きようが関係ない。そのような私たちの思い煩いとは関係なく、からだの内側で勝手に生き働いている何かを感じることがある。

 それが、ここで言う<いのちの働き>である。それは、私たちがすべてを投げ出してしまった後でも、それに関係なく、勝手に生き働いている。それは、それ自体生命を持ち、意志を持つ何かである。(

 

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』 講談社現代新書

 

<いのち>を感じることは「むなしさ」を解消するヒント

ここまで「むなしさ」を解消するヒントを考えるために、『〈むなしさ〉の心理学』の著者である諸富祥彦氏が述べる<いのちの働き>というものに触れてみました。

 

なぜここで<いのちの働き>というものを取り上げたのかといえば、実は私自身も、20代のあいだは、「何のために生きるのか」「生きていることはむなしい」「どうせいつか死んでしまう」という考えに悩まされており、諸富祥彦氏と同じように、<いのちの働き>に気づくことで、自分が抱えている問題を解決していったという経緯があるからです。

 

私自身の体験は、諸富氏のように劇的なものではないかもしれませんが、ひたすら文学や哲学、宗教、精神医学に関する本を読み、考え、やがて、<私>という存在は、私自身の力のみによって生きているのではなく、見えない何かによって生かされているのだ、ということに気づくことでした。

 

そして、この「見えない何か」とは、科学を中心とした合理的な思考だけでは捉えきれない、生命そのものともいうべき<何か>なのであり、ただ頭で考えているだけでは、なかなか気づくことが出来ない性質のものなのです。

 

このように述べると、何か怪しい宗教を信じているようでどこか胡散臭いと感じる方もいらっしゃるのかもしれませんが、「見えない何かによって生かされている」という感覚は、特定の宗教を信じることと、すぐに結びつくわけではありませんし、「見えない何かによって生かされている」という感覚に気づいたからといって、何かの宗教を信じる必要はありません。

 

そのようなことよりも、ただシンプルに、いま<私>が生きていられるのは、「私たちの思い煩いとは関係なく、からだの内側で勝手に生き働いている何か」、すなわち<いのちの働き>のおかげだと気づくことが、人生における満たされない「むなしさ」を解消するヒントになるように思うのです。

 

なぜなら、<いのちの働き>とは、生きている限り、誰にでも最初から共通して与えられているものだと言えるからです。

 

では、この<いのちの働き>に気づくにはどうしたら良いのでしょうか? 

 

その答えとしてはまず、胸に手を当てて心臓の鼓動を感じたり、お腹に手を当てて深く呼吸してみたりすることで、<からだ>は私が頭でいろいろ考えることと関係なく、常にあたたかく生きているということを実感してみることが挙げられます。

 

utukaizen.hatenablog.com

utukaizen.hatenablog.com

utukaizen.hatenablog.com

utukaizen.hatenablog.com

 うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。

utukaizen.hatenablog.com

utukaizen.hatenablog.com

utukaizen.hatenablog.com