うつを腸内フローラ改善と糖質制限で治すための方法ブログ

うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ改善と糖質制限、DHA)、運動と瞑想で治すための方法ブログです。

生きることの空しさと向き合う―『<むなしさ>の心理学』

 当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

今回はうつという心の問題を少しでも解決していくために、諸富祥彦氏の『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』を取り上げてみたいと思います。

 

以前の記事では、孤独のつらさを克服していくために、諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』を取り上げましたが、今回ご紹介する『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』という著作は、人生のむなしさを解消するきっかけをつかむためにオススメです。

 

現代社会においては、「何のために生きるのか?」「なぜ生きることはむなしいのか?」といった問いに悩んだ経験をお持ちの方は多いのかもしれません。

また、お金のために毎日働いていても、どこか心が満たされない、と感じている方も、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?

 

私自身は、どういうわけか「満たさない」「むなしい」「生きていることに意味はない」などと、つい思ってしまうのには、個人の心の問題だけではなく、生きていることが「素晴らしい」「気持ちよい」「楽しい」と感じることが出来ないような、個人の心をなおざりにした、産業中心・利益重視の社会構造も関係しているように思います。

 

たとえば今から20年前の1997年に出版された本書には、

 

 どうしたわけか、私たち日本人は今、ほんとうに疲れ切ってしまっている。

 モノは溢れているのに元気がない。いのちが活性化されていない。エネルギーがどこか滞っていると言ってもいい。

 むなしさの時代。今私たちが生きているこの時代の、いったい何が私たちをそんなふうにさせてしまうのだろう。

(中略)

 終わらない日常。見えすぎる不安。透明な閉塞感。

 巨大なシステムの中に飲み込まれて暮らしている現代人。

 そこには、私たちの生きる意欲をじりじりと奪い取らないではいない何かがある。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p44

 

という一節がありますが、2017年の現在に読んでも、まったく違和感はありません。

おそらく、人生における「生きる歓び」が失われてしまったのは、今に始まったことではなく、どこの国でも近代化が進み、産業社会が発展するにつれて、「ひと」や心の領域のことよりも「モノ」が中心になり、日々の生活において「生きがい」や「生きる意味」を感じることが難しくなっていったように思われるのです。

 

そのため、ふとした瞬間に「生きることのむなしさ」を感じてしまうことは、ごく自然なことのように思います。

そして、その時々感じられる「むなしさ」を、「私たちの人生に何が欠けているかを告げ知らせてくれる貴重なメッセージ」として受け取ることが大切だと、諸富祥彦氏はいうのです。

 

 どこかむなしい。つまらない。

 心の底から満たされる「何か」が足りない、という心のむなしさ。

 時折おとずれるこの「心のつぶやき」を、私たちはふつう、何かよくないもののようにして、それから身を遠ざけようとする。

(中略)

 けれど、実はこれは、たいへんにもったいないことである。むなしさは、私たちの人生に何が欠けているかを告げ知らせてくれる貴重なメッセージだからである。

 だから、私たちのむなしさからの出発は、自分の内側で口が開けているそのむなしさから目を逸らさずに、きちんとそれを見つめることから始めなくてはならない。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p106~107

 

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

むなしさから目をそらさず、しっかりと見つめる

本書『〈むなしさ〉の心理学』のなかでは、フランクルの心理学やトランスパーソナル心理学などを紹介しながら、具体的に「むなしさ」を超えていくためのヒントが多く記されていますが、重要なのは、「むなしさから目をそらさず、しっかりと見つめる」ことだといいます。

 

 むなしさから目をそらさず、しっかりと見つめる。

 そして自分の頭と心とからだとで、「生きる意味」をどこまでも問い求めていく。

 私が今、話しているのは、たったこれだけの実にシンプルな方法である。

 これはしかし、きわめてしんどい作業である。

 現代社会には、もっと手軽で簡単に「生きる意味」を与えてもらえそうな魅惑的な商品がゴロゴロ転がっている。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p123

 

ちなみに「魅惑的な商品」とは、自己啓発セミナーや新興宗教、瞑想、チャネリングなどのことで、諸富氏は、これらを「頭ごなしに否定するつもりはない」「いい経験ができればそれでいい」としています。

 

しかし、「質の悪いセミナーやセラピーのすべてに通じるのは、ほかの誰かや既成の理論を「信じる」ことから始まる、という点である」と述べており、誰かの理論を「信じる」ことから始まるような、魅惑的な商品に安易に自分を委ねてしまうことは問題だとしています。

 

 いずれにせよ、そこでは、自分がこれからどう生きるかを、ほかの誰かに委ねてしまっている。これは、自分の人生に対する責任放棄、責任転嫁にほかならない。

 くり返し言おう。「生きる意味」を問い求める時に、一番大切なこと。それは、自分のむなしさから目を逸らさずに、それをしっかり見つめること。そして、あくまで自分自身の頭と心とからだとで、「生きる意味」をどこまでも問い求めていくということ。

 このきわめてシンプルで厳しい道のりを、どこまでも歩んでいくことである。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p124

 

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』 講談社現代新書

 

生きることの「むなしさ」を解消するのは、決して簡単なことではないかもしれません。

しかし簡単に解消されることのない「むなしさ」の問題を解決するヒントは、「むなしさ」から目を背けるためにお金を使って特定の商品を買うことではなく、まず、「自分のむなしさから目を逸らさずに、それをしっかり見つめること」にあるのだと思います。

 

そしてそこから、今度は「あくまで自分自身の頭と心とからだとで、「生きる意味」をどこまでも問い求めていくということ」が必要になってくると諸富氏は述べていますが、もし自分で生きる意味をどこまでも問い求めていくことが出来れば、時間はかかるかもしれませんが、少しずつ、生きることのむなしさが解消されていくように思うのです。

 

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