うつを腸内フローラ改善と糖質制限で治すための方法ブログ

うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ改善と糖質制限、DHA)、運動と瞑想で治すための方法ブログです。

人は何のために生きるのか?-『人生に意味はあるか』

当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

今回の記事では、諸富祥彦氏の別の著作である『人生に意味はあるか』(講談社現代新書)を取り上げながら、「人は何のために生きるのか?」ということに少しふれてみたいと思います。

 

前回の記事では、うつという心の問題を少しでも解決していくために、諸富祥彦氏の『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』を紹介しながら、人生における満たされない<むなしさ>を解消するためのヒントについて考えてみました。

そして、私たちは<いのちの働き>によって生かされているということに気づくことが、満たされない<むなしさ>を解消するきっかけになるのではないか、と述べてみました。

 

今回取り上げる『人生に意味はあるか』のなかでは、諸富氏は「人は何のために生きるのか」「人生のほんとうの意味と目的は何か」の答えとして、以下の三つを挙げています。

 

1、「〝人生のほんとうの意味と目的〟をどこまでも探し求め続けるため。最後まで求めぬくため。」

 

2、「その極限において、究極のリアリティである〝いのちのはたらき〟に目覚めるため。そして、この私も、ほかならないその〝はたらき〟がとった一つの形であることに――〝いのちが私している〟という真理に――目覚めて生きるため。」

 

3、「今あなたが置かれている状況からの日々の問いかけに応え、あなたの人生に与えられた使命を果たし、〝未完のシナリオ〟を完成させていくため。」

 

諸富祥彦氏は、「人生の意味や目的」についての答えとして、このように述べており、これらの答えに興味が湧いた方は、実際に本書『人生に意味はあるのか』を手にとってみていただきたいと思います。

 

人生に意味や目的はあるのか

 

しかし実際のところ、「人生に意味や目的はあるのか?」という問いは、思い悩む当人にとっては非常に答えを出すのが難しい問題と思われます。

なぜ答えを出すのが難しいのかといえば、その理由は、どのようなことに「人生の意味や目的」を見出すかは、人それぞれ違ってくるからです。

そのため、本から影響を受けたり、他人からアドバイスやヒントをもらったりしたとしても、自分にとっての「人生の意味や目的」を見出せるのは、最終的には自分自身以外にいないのです。

 

 何のために、生きるか。

 人はなぜこの世に生まれ、そして何のために生きていくのか。

 この問いは、老若男女を問わず、これまで無数の人々が幾度となくつぶやき、そして途方に暮れてきた問いです。昨日も、今日も、そして明日も、どこかで誰かが、この問いをつぶやいていることでしょう。

 人はみな、いずれ死ぬ。

 気づいたときにはこの世に産み落とされ、そして生き、さまざまな苦しみや喜びを経験して、その末にいやおうなく命を奪われていく。自分の意志とはかかわりなしに……。

 自分がどこから来て、どこに行くのか。それすら知らされないまま、どう生きるべきかを考えながら、生きていくよう定められた存在。それが人間。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p7~8

 

人生に意味はあるか

諸富祥彦 『人生に意味はあるか』 講談社現代新書

 

ですが、諸富祥彦氏の『人生に意味はあるか』は、「人生には意味や目的があるのか?」という、簡単には答えが出ない問いについて悩んでいる方は、一度読んでみても損はないと思います。

なぜなら、著者の諸富氏は、この本について、「この本に紹介されたさまざまな考えを、あくまで参考にしながらも鵜呑みにはせず、「自分の人生の意味と目的を自分で探求していく道」を歩んでいただきたいと思います」と述べているからです。

 

 科学的知識と異なり、人生の真理には、ある種の体験を経なくてはなかなか理解できないことがあります。

 したがって私は、「どんな答えに行き着くか」よりも、「どう探し求めるか」「どれほど本気で答えを探し求めるか」のほうが、より重要であると思います。人生の真理は、あくまで自分の体験を通して得たものしか、自分のものにはならないからです。

 読者の方には、この本に紹介されたさまざまな考えを、あくまで参考にしながらも鵜呑みにはせず、「自分の人生の意味と目的を自分で探求していく道」を歩んでいただきたいと思います。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p11~12

 

諸富祥彦氏は「人生に意味はあるか?」という問いの答えを見つけるヒントを、本書において、宗教や文学、哲学、スピリチュアリティトランスパーソナル心理学フランクルの思想などから探り出そうとしています。

そして、第7章に「私の答え」として、「いのちが、私している」ということについて述べています。

<いのちの働き>は「意味」を超える

<いのちの働き>に出会ったという諸富氏の経験については、「むなしさ」について書いた前回の記事でも述べましたが、氏は、「中学三年生の春から、おおよそ七年もの間、「人生の意味」を求め、いくら求めてもそれが求められずに苦しんで」いたといいます。

 

しかし大学三年の時に、疲れ果てた氏は、観念してその問いを放り投げてしまったというのですが、力尽き、「問いを投げ出した」ことで、「なぜか倒れることも崩れ落ちることもなく、立つことができている自分の姿」を見たと述べています。

 

この時に出会ったのが、気づかないだけで前からずっとあった、<いのちの働き>と呼ばれるものです。

 

 私はこれまで気づかずにきたけれど、この何かはずっと前からそこに与えられていた。私を生かし、私をあらしめ、私を成り立たしめてきた。つまりこの何かこそ、私の真実の主体なのだ。そして今、この何かがそれ自体で立っている。だからその結果、私も立っていられるのだ。

 この「何か」は「働きそのもの」である。あえて名前を付ければ<いのちの働き>とでも呼ぶよりほかない何かである。私の底の<いのちの働き>。(略)

 

 つまり私は、<いのちの働き>に生かされている。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p185~186

 

 この瞬間に、私ははじめてこの「はたらき」が、うずを巻いて現成したのを見たけれど、実はそれは、ずっと前からそこにあった。あったどころか、私が生まれてからこの方、いつもずっと、私を成り立たしめてくれた当のものであったのです。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p198

 

 私はそれまで、自分がどう生きるべきかと悩むのに忙しくて、それに気づかずにきたけれど、このはたらきは、実は、ずっと前からつねにすでに与えられており、私を生かし、私をあらしめ、私を成り立たしめてきていた、ということ。つまりこの「はたらき」こそ私の真実の主体であり、この「はたらき」がそれ自体ではたらいているからこそ、それによって、私も立っていられるのだということ。むしろ「私」は、このはたらきの一つの形にすぎない、ということ。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p198~199

 

そして、『人生に意味はあるか』の著者である諸富祥彦氏は、この<いのちの働き>に目覚めることで、思い悩む必要がなくなり、「悩みそれ自体が消え去っていった」と述べています。

 

人生に意味はあるか

<いのち>を生きることがうつをやわらげるきっかけになる

もちろん、だからといって、人生の意味に悩む多くの方が、悩みが消え去るほどの<いのちの働き>を、日常生活において経験するとは限らないと思います。

ですが、諸富氏のいう「いのちのはたらき」について考えてみること、あるいは感じてみることは、人生の意味や目的を解決するヒントになるのではないか、と私自身は思います。

また、「人生の意味や目的」は、頭のなかで考え抜いて導き出すだけではなく、もしかしたら自分という存在の外側からやってくるのかもしれない、もしくは、気づかないだけですでにそこにあるのかもしれない、という視点を持ってみることも大切ではないでしょうか?

 

 この「はたらき」は、天然自然。意味無意味を超えた「いのちのはたらき」です。その意味でそれは、超・意味です。またそれは、意味があるとかないとかいう観念的な意味づけに先立って、ずっと前からそこではたらいていたものです。その意味でそれは、前・意味であり、脱・意味であると言うこともできるでしょう。

 この「はたらきそのもの」について語るとき、忘れてはならないのは、その「つねに、そしてすでに」という性質です。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p198

 

前回の記事と同様、この諸富氏の<いのちの働き>との出会いの経験をなぜ取り上げたのかといえば、実は私自身も、20代のあいだは、「何のために生きるのか」「人生に意味はあるのか」という問いに悩まされており、うつの状態になることが多かったからです。

また、諸富祥彦氏のように劇的ではありませんが、<いのちの働き>に気づくことで、自分が抱えている心の問題を解決していったという経緯があるからなのです。

 

私自身の体験は、文学や哲学、宗教、精神医学に関する本を読み、考え、やがて、<私>という存在は、私自身の力のみによって生きているのではなく、<見えない何か>によって生かされているのだ、ということに気づくことでした。

そして、毎日の生活に、呼吸を深めることや、ヨガ、マインドフルネス瞑想などを取り入れることで、<いのち>や<からだ>を感じる時間を増やしてみました。

 

すると、ろくに体を動かさず、何でも頭の中で考えていた頃よりも、気持ちが楽になりましたし、体調も良くなりました。

もちろん、自分の身に起きた出来事や天候の影響など、何かのきっかけで、気持ちが沈み込むことはありますが、それでも<いのちの働き>と呼ばれるような、目に見えない何かに関心を持つようになってからは、以前より気分が落ち込むことは少なくなったと思います。

 

人生をより豊かにするために、いのちを感じる時間をもってみる

ひとつお断りしておきたいのは、この記事の内容は、<いのちの働き>に目覚めることで、特定の宗教を信じたり、スピリチュアリティに根差した生き方を押しつけたり、何かのセラピーやワークへの参加を勧めたりするものではない、ということです。

 

ただ、頭のなかでいろいろ考えすぎるのを止め、代わりにゆっくりとした運動や、呼吸法瞑想などを行うことで、<からだ>や、そのからだを生かしている<いのち>を感じる時間をもつようにしてみることは、うつを少しでもやわらげるきっかけになるのではないか、と思うのです。

 

このことはあくまでひとつの提案ですが、考えるだけではなく、何かを感じてみることも、人生をより豊かなものにするために必要であるような気がします。

 

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 うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。

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