『孤独であるためのレッスン』 諸富祥彦 著
当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善と糖質制限)、運動と瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。
今回はうつという心の問題を少しでも解決していくために、心理カウンセラーである諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』という本を取り上げたいと思います。
この諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』は、2001年に出版された本ですが、その内容はまったく古びておらず、孤独がつらいと感じている人にとっては、いつの時代に読んでも、心を打つものがあると思います。
今の時代は、スマートフォンやSNS、LINEで簡単に誰かとつながることは出来ますが、しかし、だからといって、本当の意味で孤独が癒されるように感じることは、少ないのではないでしょうか?
また秋冬の寒い季節になってくると、寒さによって孤独感が増し、身も心も打ちひしがれそうになります。
現代社会においては、つながるためのツールが身の回りにたくさんあるといっても、実は<孤独>であること、<ひとりでいること>に悩んでいる方は多いのではないでしょうか?
しかし<孤独>であることや、<ひとりでいる>ことは、それほど「悪い」ことなのでしょうか? 「いけない」ことなのでしょうか?
私自身は、<孤独>であること、<ひとりでいる>ことは、決して「悪い」ことではないと思います。
この孤独であることの悩みについて諸富祥彦氏は、
「ひとりでいるという事実よりむしろ、「あいつはひとりだ」「ひとりでいる変なヤツだ」と周囲や世間から思われているまなざしを気にかけ、自分で自分を追い詰めている」
と、『孤独であるためのレッスン』のなかで述べています。
つまり、孤独は良くないことだとする世間の目を気にするあまり、劣等感をつのらせ、その結果、「自分の孤独を、ひとりでいることを肯定的に受け止め、ひとりのままで人生をエンジョイ」出来ていないというのです。
そのため、著者の諸富祥彦氏は本書『孤独であるためのレッスン』を以下のような方に読んで欲しいと述べています。
・いつもまわりに合わせて生きてきて、〝自分〟というものを意識することがあまりない。
・他人の視線や評価が気になるから、〝自分〟を出すことが苦手だ。
・〝自分〟がわからなくなることがある。〝自分〟がほんとうにしたいことは何か。自分でも、わからなくなることがある。
・〝ひとり〟になるのがこわいから、いつも誰か仲間の中にいる。
・いつも友だちや仲間に囲まれて生きてきて、〝ひとり〟になったことがない。だから〝ひとり〟になる人の気持ちもわからないし、〝ひとり〟になるなんて考えられない。
(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p17より抜粋)
・いつもひとりでいることが多い。仲間にうまくなじめない。
・自分は人と違う。何が劣っているのでは、と思ってしまい、自信がない。
・ずっとフリーターで生きている。どこにも所属していない自分を、世間は変な人間のように思っているに違いない。
・三〇歳をすぎても結婚する気になれない。けれど親や周囲の人の視線が気になる。
・結婚はせず、子どもを産んで、シングル・マザーとして育てているが、世間の冷たい視線や無理解を感じる。
・今、不登校とか、出勤拒否の状態になっている。そんな自分を責めてしまう。
・しばらく家にひきこもっていて、こんな自分は世間から冷たい目で見られている、と感じてしまう。
(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p18より抜粋)
また、以下のような一節が、自分のなかの孤独と向き合い、孤独であることを肯定し、受け容れるために非常に参考になります。
〝ひとり〟でいることのできない人間関係は、たいへん不自由なものです。絶えず他人の視線を気にし、他人と自分を比較し、評価し続ける、がんじがらめの人間関係です。人間関係の〝評価〟や〝しがらみ〟に捕らわれた生き方、と言ってもいいでしょう。
一方、〝ひとり〟でいることのできる人の人間関係は、とても自由で、柔軟で、開かれたものです。他人の視線はあまり気になりませんし、他人と自分を比較したり、評価し続けたりすることもありません。他者とのほんとうの〝つながり〟に開かれた生き方と言ってもいいでしょう。
そうです。私たちはまず、〝ひとり〟でいる決意をしなくては、真の人間関係に、真の〝つながり〟に開かれることもできません。
〝ひとり〟でいる決意をし、自分の孤独を深めることができた人にだけ、他者との真の出会いも可能になるのです。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p20)
孤独を恐れるな。
孤独は、人生の普遍的な本質であり、人間であることの真実なのだから、孤独であることをみずから積極的に引き受けよ。
人はみな、ひとりで生きていく。
この真実を深く引き受けた人間だけが、自分自身と対話し、より深い心の知恵を聴きながら、生きていくことができる。自己との対話を絶えず積み重ねることでしか手に入れることのできない、精神の厚みを増すことができる。
つまり、孤独な人間だけが、自分自身と対話し、自己と出会うことができる。
また、そのようにして、自分自身と出会い、自分の心の声を聴くことのできる孤独な人間同士だけが、深く出会うことができる。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p172)
孤独を癒すことができるのは、人とのつながりではない。
孤独を癒すことのできる、ただ、一つの道。それは、孤独から抜け出すことではなく、より深く、より深く、その孤独を深めていくことだ。
他者とのつながりをきっぱりと断ち切って、自分の孤独を、深さの方向へ、深さの方向へと、深めていくこと。そのことによってしか孤独は癒されず、表面的な人間関係はさらに孤独を強化するだけだ。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p254)
もし、孤独を癒すことのできる人間関係がありうるとすれば、それは、その関係の中で、互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、その関係の中で、互いがますます深くひとりになり、自分自身になりきることができるような人間関係でしか、ありえないであろう。
孤独は素晴らしい。
人が真の自分に出会うのも、自分の人生で何がほんとうに大切かを知るのも、すべては孤独において、である。(同)
『孤独であるためのレッスン』 諸富祥彦 著 NHKブックス
<孤独>であることに悩んでいて、諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』に興味が湧いた方は、ぜひ、実際に手に取って読んでみてください。
本書を読むことで、自身の内面にとって何か新しい発見があると思います。
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