人生に<失敗>は無い理由
当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善と糖質制限)、運動と瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。
今回の記事では、うつ病の予防やうつの対策を考えるために、人生に<失敗>は無い理由について書いていきたいと思います。
自分の人生は失敗の連続なのではないかと思い、人生に絶望したり、気持ちが塞ぎこんでしまったりする経験をもつ方は、少なからずいらっしゃると思います。
また、職場や学校、家庭など、日常生活のなかで、思わず「失敗」をやらかしてしまい、そのことで落ち込むことがあると思います。
もし「失敗」してしまうと、その失敗の度合いによっては、自分がとった行動に対して「もしあの時あのようにしていれば」と後悔したり、自分を責めたりしてしまいます。そしてそのことによってストレスを溜めすぎると、脳や腸にもダメージが与えられ、そのことで心身の健康を損なってしまう可能性もでてきます。
人生において失敗することはごく自然なこと
しかし人は(その時点では分からなかったという)認識不足によって、常に自分にとって正しくてパーフェクトな選択・行動を行えるわけではないので、日々の生活のなかで、失敗をしてしまうことは、ごく自然なことなのです。
そのため、過去に「失敗」したことをただ悔やんでも仕方がなく、「失敗した経験」から「次は同じ失敗を繰り返さないようにすること」を学ぶことが必要なのだと思われます。
そして、いかに「失敗」したことからなるべく早く立ち直れるかが、うつ病の予防や、心身の健康のために重要になってくると考えられます。
たとえば、本当は「A」という道を進むはずだったのに、つまづいたこと(失敗)によって「A」に進めず、「B」の道を進む羽目になったとします。
「B」の道を進んでいる間は、「A」のほうがもっと良い道なのではないかと、つい失敗してしまったことを悔やんでしまいがちになるのですが、「A」の道のほうが、「B」の道よりも優れているかどうかは、実際に「A」の道を進んでみなければ分かりません。
もしかしたら、失敗せず「A」の道を進んだところで、もっとひどい困難がどこかで待ち受けているかもしれません。
そして、もし「A」の道を選んでいたら、「B」の道を選んだという現実、すなわち「今」という、自分の眼のまえにひろがっている世界は訪れていないのです。
「失敗して良かった」と思えれば「失敗は成功のもと」になる
したがって、失敗したあとに大切だと思われる心持ちは、「今」という現状を否定せず、「今」という現実を肯定し、受け容れるようにすることだと考えられます。
また、私が住んでいる現実世界は「ああしたからこうなった」というように、単純な因果によって成り立っているわけではないので、失敗したことによって「B」の道を進まざるを得なくなったからといって、そのことが不幸に結びつくわけではありません。
たとえ失敗したことによって自分は不幸だと感じたとしても、「B」の道を進んだことがきっかけになって、自分が好運だと思えるような出来事や物事が未来から訪れることもあるのです。
もしそのような出来事や物事に失敗したおかげで出会い、結果的に「失敗して良かった」と思うことができれば、「失敗は成功のもと」になるのです。
つまり、現時点では「失敗」だと思っていたことも、長い目でみれば、「成功」のために必要だったのであり、このことは、時間が経つにつれて、自分にとっての「失敗」の意味が変わるということでもあります。
そのように考えてみると、長い人生のなかで、「失敗」は無いということになるのです。なぜなら、いま述べたように、「失敗」の性質や自分にとっての意味合いは、時間と共に変化するからです。
時間の経過と共に「失敗」の意味合いは変えられる
もう一度繰り返しますが、現時点で、自分のなかに「失敗」したと思っていることがあったとしても、時間の経過とともに、自分にとっての「失敗」の意味合いは変えることができるので、「失敗」は「失敗」ではなくなるのです。
その「失敗」が「自分が成功だと思えるようなこと」に結びつけられればより良いのですが、「あの失敗のおかげで成功することができた」と思えなくても、しばらくすると、自分が「失敗」したと思っていたことの性質が変わっていくことは、心に留めておいたほうが良いと思います。
すなわち、長い人生に<失敗>は無いのです。なぜなら、何度も述べるように、失敗の意味合いは時間とともに変化しますし、固定できないからです。
そのため、もし自分が何らかの「失敗」したという記憶にがんじがらめになり、自分で失敗を固定することで苦しい思いをしているならば、あの時の「失敗」は今の自分のために必要だったと思えるようになるまで、気晴らしに自分の好きなことをしながら待ってみることも大切であるように感じます。
また時には、ゆっくりとした運動、瞑想などを行うことで、悩みすぎないように、うまくやりすごすことも必要になってくるように感じられます。
このようにこの記事で述べてきた理由は、たとえ今の天気がどしゃ降りだったとしても、待っていればいつか再び青空が見え、陽が射すのと同じように、もし失敗したことによって気分が落ち込んでいても、しばらく待っていれば、気持ちが晴れることもあると思うからです。
人生は失敗の連続ですし、人は完ぺきな存在ではないため、時々、知らなかったことが原因で失敗をやらかしてしまうのは、ごく自然なことです。
したがって、自分の「失敗」を悔やんでしまうことが多いとしても、失敗は悪いことではなく、自分にとっての成功のために必要なことですし、そもそも長い目で見れば人生に<失敗>など無いのです。
うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。
「首こり」を治すことが、うつの改善につながるわけ
当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善と糖質制限)、運動と瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。
今回は、「首こり」を治すことが、うつの改善につながるわけについて書いていきたいと思います。
うつの症状を少しでも改善したり、うつ病を予防したりするためには、「あたま」だけではなく、「からだ」のほうにも意識を向けることが大切だと思われます。
このことについては、以前の記事で何度か書いてきましたが、今回は、からだの部分のうち、「首」に着目したいと思います。
今の時代はタブレットやスマートフォンといった携帯端末の普及や、オフィス内でパソコンを長時間使用する労働環境などによって、画面を見るために、うつむいてしまっている時間が長くなっている方は多いと思います。
しかしうつむいた姿勢を長く続けてしまうと、猫背になるだけではなく、首にも負担をかけてしまいます。そして気づかないうちに肩だけではなく、首もこってしまうのです。
このことに関して、整形外科クリニックの院長をしている三井弘氏は、『体の不調は「首こり」から治す、が正しい』(SB新書)のなかで、以下のように述べています。
首の不調が起こるのは、首を酷使する生活が続くことが最大の要因です。
それでなくとも首は、日常生活の中で絶えず動かされ続けています。
(中略)
首が健康だからこそ、私たちはつつがなく日常生活を送ることができているのです。
しかし、そのことを意識することはほとんどありません。首がスムーズに動くことは、意識するまでもない〝当たり前〟のことだからです。
そのため必要以上に負担をかけてしまっても、よほどの症状が出ない限り、大概の人は首が傷んでいることに気づかないのです。(三井弘『体の不調は「首こり」から治す、が正しい』p23)
三井弘 『体の不調は「首こり」から治す、が正しい』 SB新書
「首こり」と「うつ」の関係とは?
三井弘氏は、首に「必要以上に負担をかけてしまっても、よほどの症状が出ない限り、大概の人は首が傷んでいることに気づかない」と述べていますが、「肩こり」ではなく、知らない間に首がこってしまう「首こり」によって、からだに何らかの不調が引き起こされていることは十分考えられるのです。
特に「うつ」の症状や「うつ病」との関連性において、三井氏は以下のように指摘しています。
うつは一般的に脳が関係しているとされていますが、その発症に、長時間にわたる首の酷使が関わっているケースもあるということです。
なかでも何時間もパソコンやゲームをやり続け、同じ姿勢を取り続けている状態が長く続くような状況は、首に多大なダメージを与えます。それによって頸椎から自律神経の不調が起こり、「自律神経失調症→うつ」という経過を生じさせかねません。(三井弘『体の不調は「首こり」から治す、が正しい』p54)
通常、自律神経失調症やうつはストレス性疾患として扱われることが多く、神経内科や心療内科、精神科などにかかることが多いと思います。
そこで薬を処方されて服用するというのが治療の主流ですが、もし薬をいくら飲んでも症状が改善されないという場合は、首に問題があることも考えられます。(同)
このように、「うつ」の症状には様々なものやことが関係していると考えられますが、もしかしたら「大変慎み深く、我慢強い部位」である「首」が酷使されていることにも問題があるのかもしれないのです。
そのため、うつの症状を少しでも防いでいくためには、日頃から「首」を大切にするような生活習慣を心がけることだと思われます。
あごを20度ぐらい上げることが首への負担を減らす
しかし首の疲れを取ろうとして、自分で首を変な方向に動かしてしまうと、逆に首を痛めてしまうことにもなりかねません。
そのため、この記事では首の疲れをとるための具体的な方法については書きませんが、三井弘氏の『体の不調は「首こり」から治す、が正しい』のなかで非常に参考になるのは、首の負担を減らすために、普段からあごを20度ぐらい上げることを心がけるという点です。
正しい姿勢というと、あごを引くことをイメージしがちですが、三井氏は、「あごを20度ぐらい上げた状態」が首にとっての良い姿勢だというのです。
あごを引くと、頸椎は真っ直ぐな状態となり、重い頭を支えるためのカーブがなくなってしまいます。つまり、首が軽く前に突き出て、頭部が後方に位置するというバランスが取れなくなってしまうのです。
それによって頭全体の重さを受け止めて支えることができなくなり、首には余計な負担がかかってしまうことになります。(三井弘『体の不調は「首こり」から治す、が正しい』p109)
首を守るためには、頸椎のカーブを保てる姿勢であることが必要です。そのために最もよいのは、あごを20度ぐらい上げた状態です。要は、あごを少し上にツンと上げた姿勢です。これが首の骨のカーブに沿った「首にとっての正しい姿勢」なのです。(同)
あごを引いてしまうことは、首にも大きな負担をかけるだけではなく、頸椎のカーブの消失によって、その下に続く胸椎や腰椎にも影響を与え、背骨全体の負荷も高めてしまいます。ですから、まずは「少しあごを上げる」を日頃から意識して生活してみてください。
立つときは、①あごを少し上げ、②胸を張り、③腰は少しそらし気味にして立つ、を心がけましょう。この姿勢を習慣にするだけで首こりの症状は相当改善されます。(三井弘『体の不調は「首こり」から治す、が正しい』p110)
意識的にあごを少しあげるようにしてみることが「うつ」を予防する
したがって、テレビを見るときや本を読むとき、パソコンやスマートフォンなどを操作するとき、うつむきがちになるのを避け、意識的にあごを少しあげるようにしてみると、首への負担を減らせると思います。
また、テレビの位置を少し高くしたり、スマートフォンや本などを腕を動かすことで目線の方にもってきたりすることも、首に余計な負担をかけないようにするための工夫だといえます。
そのほか、首に負担をかけないための、枕や椅子の選び方、食事や入浴の方法など、日常生活のなかで首を守るための秘訣が、三井弘氏の『体の不調は「首こり」から治す、が正しい』のなかで紹介されていますので、首への負担を少しでも減らしたい方は、ぜひ本書を読んでみてください。
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うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。
食べる事を意識することが、うつの改善につながっていくわけ
当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善と糖質制限)、運動と瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。
以前の記事では、うつを解消するために、<いのちの働き>を感じる方法ついて書きましたが、今回は食べる事を意識することが、うつの改善につながっていくわけについて述べてみたいと思います。
私たちは毎日食事を行っていますが、食べる事とは、生きるために、動物や植物など自分以外の存在から、<いのち>をいただいている行為に他なりません。
しかし毎日の食事が、コンビニエンスストアやスーパーマーケットで買える、精製された加工食品ばかりになってしまうと、どういうわけか、<いのち>を頂いているという感覚が稀薄になっていきます。
また、加工食品の多くは、精製された糖質や塩分が多く、ビタミンやミネラルなどの栄養素がきちんとバランスよく含まれていないため、食事の中心がカップラーメンなどの加工食ばかりになってしまうと、栄養不足によって心と身体の元気が失われる可能性もあります。
そのため、新鮮な野菜や果物など、精製されていない食べ物を、ゆっくりと咀嚼しながらなるべく舌で味わうようにする事も、日頃から<いのち>を感じるようにするトレーニングになります。
野菜や果物などの旬の食材を自然の恵みとしていただく
その土地でとれる旬の食材を食べるようにする「身土不二」(しんどふじ)という考え方がありますが、季節ごとに、野菜や果物などの旬の食材を自然の恵みとしていただき、味わうようにすることも、<いのち>を感じることにつながっていきます。
また食材をまるごといただく「一物全体」(いちぶつぜんたい)について、医師の本間真二郎氏は以下のように述べています。
「一物全体」とは、生きているものはすべて丸ごと全体であり、かつバランスがとれているという意味。そして、食材も丸ごといただこうというのが「一物全体」の考え方です。そして食べることは、生きものの「いのち」をいただくという行為になります。(本間真二郎『病気にならない暮らし事典』p108)
野菜の皮や根は、なるべく捨てないで積極的に利用します。精製された食品は、ミネラル、食物繊維、ビタミンなどの栄養成分が激減しています。精製食品をとると、それ自体の消化・吸収のためのビタミン・ミネラルが足りないため、骨やほかの臓器からもってくる必要があり、全身に負担をかけることになります。(同)
新鮮な野菜や果物をまるごといただくことが、<いのち>を感じることにつながる。
腸内細菌にも生かされている
さらに私たちは、自分の力だけで生きているのではなく、腸に生息する腸内細菌など、無数の微生物たちによって生かされている(共生している)という事実も、忘れてはならないような気がします。
したがって、腸内細菌を育てるつもりで、腸内細菌のエサになる食物繊維を野菜や果物、海藻類やきのこ類などから多く摂ることも大切になってくると考えられます。
もし日頃の食事を意識することで腸内細菌のバランスが良くなれば、腸内環境が改善されることで、心の状態も良くなることは十分考えられます。(腸脳相関)
以上ここまで、食べる事を意識することが、うつの改善につながっていくわけについて述べてきましたが、ほかにも、時々、1日3食食べていたら2食にしてみるプチ断食や、本当にお腹が減るまで食べるのを待ってみる半日断食などを行ってみると、何かと忘れがちな食べ物のありがたみに気づくことができます。
うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。
自然に触れることが、うつを緩和し、うつ病を予防する。
当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善と糖質制限)、運動と瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。
前々回の記事では、うつを解消するために、<いのちの働き>を感じる方法ついて書きましたが、今回はそのひとつとして、「自然に触れることが、うつをやわらげ、うつ病を予防する」ということについて書いていきたいと思います。
<いのちの働き>を感じるためには、自然に溶け込む時間をもつことが大切であるように思います。
なぜなら、自然のなかには、生命力に満ちた自分以外の存在が、溢れているからです。
山のなかを散策すれば、森のなかの樹々や草花、小鳥のさえずりなどに気づかされますし、海をしばらく眺めていれば、ひとつとして止まることのない波の動きに圧倒されたり、癒されたりします。
湖をただぼーっと眺めていれば、見たことのない昆虫が飛んでくることもあります。
自然のなかでの日光浴はうつの改善のためには欠かせない
普段、頭の中が人間関係や仕事に関する悩みでいっぱいだったり、パソコンやスマートフォンの操作に時間を費やすことが多かったりする場合は特に、自分が自然のなかに溶け込んでいるつもりで、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などをフルに働かせながら、自分が生きている空間を<感じる>ように心がけてみてください。
さらに、樹の幹に手で触れたり、足元に気をつけながら、裸足で土や砂浜のうえを歩いたりすることも、ダイレクトに自然を感じることにつながります。
また、遠出しなくても、晴れた日は近くの公園で日光浴をするのもオススメです。わたしたちを生かしてくれている太陽の光をしばらく浴びていれば、そのぶん、エネルギーが充てんされ、元気をもらうこともできますし、30分以上日光を浴び続ければ、からだがビタミンDを作り出してくれます。
特に日光を浴びることは、幸せホルモンの「セロトニン」や睡眠を促すホルモンである「メラトニン」が作られることにも関係してくるため、うつの症状に悩まされている場合、太陽が出ている時間帯に、しっかりと日光浴を行うことはうつ病の対策として欠かせません。
そして自然を感じる時間をもつようにすることは、自分自身の生命力の回復にもつながっていきます。
もちろん、大自然のなかでマインドフルネス瞑想やスロージョギングを行ないながら、自然を感じるようにすることもオススメですし、足裏感覚を確かめながら、ゆっくりと遊歩道を歩くようにするのも自然を感じるのにお勧めです。
冬の場合は、寒いせいで部屋のなかに閉じこもりがちになり、なかなか自然のなかを散策する気が起きてきませんが、少しでも暖かい一日があったら、日が暮れないうちに思い切って自然を感じるようにしてみると、意外と冬の季節にしか発見できない驚きに出会ったりします。
文明社会における自然に触れることの効用
ちなみに、文明社会に飼い慣らされた生活をやめてみることを提唱している、ジョンJ.レイティ、リチャード・マニング氏らの『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』のなかで、自然のなかで過ごす時間を増やすことの効用について書かれていますので、引用してみたいと思います。
何より理解いただきたいのは、食事、運動、睡眠、思考、そして生き方は、すべてつながっているということだ。これらすべてが健康と幸福に関わっている。当たり前のことのようで、この考え方は西洋の思想、科学、とりわけ現代医学に真っ向から対立するものだ。それら現代西洋の考えは、問題をいくつもの要素に分け、その中から機能不全になっているものを見つけ出し、それだけを直そうとする。機械ならそれでうまくいくだろう。だが、わたしたちは機械ではない。野生動物なのだ。ワイルドであろうとするなら、複雑さをそのまま受け入れるべきだ。(ジョンJ.レイティ、リチャード・マニング『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』 野中香方子 訳 p11)
自然との関わりというテーマの興味深い点は、それがこれまで本書で取り上げてきたさまざまな問題すべてとつながっているように思えることだ。だから、まず自然界と人間との関係を確かめれば、高血圧、運動不足、自己免疫疾患、うつなどすべてが解決に向かうだろう。(ジョンJ.レイティ、リチャード・マニング『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』 野中香方子 訳 p202)
現代人、とりわけ都会で暮らす人々に自己免疫疾患が急増しているのは、環境があまりにも清潔なため、免疫系が現実の敵を失い、力を持て余して暴れているからではないか、というのがそれだ。わたしたちはフル装備の微生物に囲まれ、それらと闘いながら進化してきた。そのため微生物がいない状況では、とくに体内の生態系(マイクロバイオーム)に問題が起きる。健康でいるには、体の内の生態系が外の生態系と結びついていなければならない。両者を結びつけるには、無菌の人工的環境から外に出て、自然の中で過ごす必要がある。(ジョンJ.レイティ、リチャード・マニング『GO WILD 野生の体を取り戻せ!』 野中香方子 訳 p202~203)
以上、ここまで自然に触れることが、うつをやわらげ、うつ病を予防する、ということについて書いてきましたが、自然に溶け込むことは、心身の健康を取り戻し、自分が生かされていることに気づくためのレッスンとして非常にお勧めです。
うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。
<ヨガ>がうつをやわらげ、うつ病を予防する理由
当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善と糖質制限)、運動と瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。
前回は、うつを解消するために、<いのちの働き>を感じる方法ついて書きましたが、今回はヨガがうつをやわらげ、うつ病を予防する理由について述べていきたいと思います。
前回の記事では、ゆっくりとした運動を行うことで、自分の<からだ>があること、すなわち生きている事、<いのちの働き>に気づきやすくなると述べました。
反対に、普段から頭で考えてばかりだったり、俯いて猫背の姿勢でスマートフォンなどを操作し続けていたりすると、身体性を意識しにくくなり、からだも柔軟性を失って固くなってしまいます。
しかし<いのちの働き>を感じられるような、ゆっくりとした運動によって<からだ>が良い方向に変わることが出来れば、その分、心の状態も良い方向へ変化していくことは十分考えられるのです。
ゆっくりと動くことによって、これまで自分が感じることが少なかったカラダの部分を微細に感じられるようになれば、そのことが、<いのちの働き>を感じることにつながっていきます。
そのためには億劫にならないような、自分が始めやすい運動を見つけてみると良いと思いますが、ここではゆっくりとした運動のひとつとして、<ヨガ>をオススメしたいと思います。
なぜヨガがおすすめなのかといえば、ゆっくりとした動きでポーズをとるようにするヨガは、自分のからだを観察したり、感じたりするのに、最適だからです。
そして、地道にヨガを続けることで、心身の状態が整えば、うつの症状が改善されたり、うつ病の発症予防につながったりすることは、十分考えられます。
身体が硬い人のほうがヨガに向いている
しかし「ヨガ」といっても、「自分はからだが硬いからヨガには向かない」と思ったり、テレビや雑誌などでモデルが難しいポーズをとっているのを見て、「あんなポーズは自分には出来ない」と感じたりすることで、どこかヨガを始めることを敬遠してしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ところが、ヨーガ指導者として有名な成瀬雅春氏は、『体が硬くても簡単にできる! 究極のシンプル・ヨーガ』のなかで、「むしろ、体が硬い人のほうが、ヨーガには向いている」と述べています。
体のメンテナンスに便利なのがヨーガです。古来、ヨーガ行者が研鑽を積み重ねて、ヨーガのいろいろなポーズ(アーサナ)や呼吸法、集中法、瞑想法などを作り上げてきました。数千年にわたる数多くのヨーガ行者の叡智の結集は、私たち人間が生きていくうえでとても便利な道具といっていいでしょう。(成瀬雅春『体が硬くても簡単にできる! 究極のシンプル・ヨーガ』p2)
しかし、ヨーガには誤解があり、その名前を聞いただけで、「私は体が硬くてとても無理」「もう年なので絶対にできない」と考える人も多いようです。
ヨーガのポーズには、体の硬い人には確かに不向きなものも多いことは事実です。しかし、ヨーガの目的とは、心の柔軟性を高めて自分を知ることであり、難しいポーズを決めることでも、体を軟らかくすることでもありません。
むしろ、体が硬い人のほうが、ヨーガには向いているのです。(同)
体を動かしたときに、体を含めて自らの内側をつぶさに観察できるのは、体の軟らかい人ではなく、むしろ体の硬い人です。体の軟らかい人は、無意識のうちに体を自由に動かせるので、自分への観察がおざなりになったりすることがままあるのです。(成瀬雅春『体が硬くても簡単にできる! 究極のシンプル・ヨーガ』p3)
ヨガを生活にとりいれると、心身のバランスが整う
成瀬雅春氏も述べているように、ヨガを行う目的は、自分自身のからだを観察することなのであって、けっして美しいポーズをとることではないのです。
また、無理に体を軟らかくする必要もなく、「ヨガ」を行いながら自分のからだを感じることで、呼吸が深まり、血流が良くなり、気分が落ち込むことが少なくなって、生きていることが気持ちいいと感じられるようになれば、それで良いのです。
このように述べるのは、実は私自身が、元々からだが硬く、長年ヨガを続けていても、難しいポーズはなかなかとれないからなのです。
しかし、ヨガを生活にとりいれることによって、心身のバランスが整い、そのことによって毎日生きることが楽になったことは確かです。
したがって、最初から難しいポーズに挑戦せず、無駄な力を抜き、呼吸を深めながら、からだを倒す、ひねる、反るなどの動作をゆっくりと行うだけでも、心身の健康のために効果的だと思うのです。
また、特に体が硬いと思っている方に、先程の成瀬雅春氏の『体が硬くても簡単にできる! 究極のシンプル・ヨーガ』を側に置きながら、ヨガを試してみると良いと思います。
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そのほか、最初に述べたように、ヨガは<いのちの働き>を感じるためにオススメです。
ヨガでは、私たちが生きているのは自分の力ではなく、また、人格化された特別な神の力によるのでもなく、すべてを活かしてくださっている力、根本的な意味での「神」、自然・宇宙の活かす力によっている、と考えています。
(略)
個体の外の働きとは、宇宙・地球のあらゆる生命・物質が互いを活かし合う形で、個体としての存在を可能ならしめている働きのことであり、内なる働きとは、個体の中で働いている生命力のことです。ただしそれも個体の中で他と無関係に単独に働いているわけではありません。(龍村修『生き方としてのヨガ』p44)
うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。
うつを解消していくために―<いのちの働き>を感じるための三つのヒント
当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善と糖質制限)、運動と瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。
今回は、うつを解消するために、<いのちの働き>を感じるための方法について書いてみたいと思います。
前回や前々回の記事などでは、<うつ>の症状や、うつ病という心の問題を少しでも解決するために、心理カウンセラーの諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』や、『〈むなしさ〉の心理学』、『人生に意味はあるか』などを取り上げてみました。
そして、人生のむなしさや苦しみを少しでも解消していくためのヒントとして、諸富祥彦氏が出会うことになった<いのちの働き>というものを紹介してみました。
以下、おさらいですが、諸富祥彦氏の著作のなかの、<いのちの働き>に関する記述を引用します。
私はこれまで気づかずにきたけれど、この何かはずっと前からそこに与えられていた。私を生かし、私をあらしめ、私を成り立たしめてきた。つまりこの何かこそ、私の真実の主体なのだ。そして今、この何かがそれ自体で立っている。だからその結果、私も立っていられるのだ。
この「何か」は「働きそのもの」である。あえて名前を付ければ<いのちの働き>とでも呼ぶよりほかない何かである。私の底の<いのちの働き>。(略)
つまり私は、<いのちの働き>に生かされている。
(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p185~186)
私はそれまで、自分がどう生きるべきかと悩むのに忙しくて、それに気づかずにきたけれど、このはたらきは、実は、ずっと前からつねにすでに与えられており、私を生かし、私をあらしめ、私を成り立たしめてきていた、ということ。つまりこの「はたらき」こそ私の真実の主体であり、この「はたらき」がそれ自体ではたらいているからこそ、それによって、私も立っていられるのだということ。むしろ「私」は、このはたらきの一つの形にすぎない、ということ。
(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p198~199)
この「はたらき」は、天然自然。意味無意味を超えた「いのちのはたらき」です。その意味でそれは、超・意味です。またそれは、意味があるとかないとかいう観念的な意味づけに先立って、ずっと前からそこではたらいていたものです。その意味でそれは、前・意味であり、脱・意味であると言うこともできるでしょう。
この「はたらきそのもの」について語るとき、忘れてはならないのは、その「つねに、そしてすでに」という性質です。
(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p198)
なぜ、この<いのちの働き>には、生きることのむなしさや苦しみ、悩みなどを解消する力があるのでしょうか?
思うに、この<いのちの働き>は、自分自身を変化させてくれるきっかけを与えてくれたり、自分を変化させてくれるチカラが宿っていたりするからなのではないでしょうか?
<いのちの働き>を感じるとは?
ところで、この<いのちの働き>とは、肉眼では確認しづらく、簡単には言葉にできない「見えない何か」であり、科学を中心とした合理的な思考だけでは捉えきれない、生命そのものともいうべき<何か>なのだとも言えます。
そのため、ただ頭で考えているだけでは、なかなか気づくことが出来ない性質のものなのであり、何でも物事を論理的に考えたり、科学的なデータを重視したりする人にとっては腑に落ちず、もしかしたら、何かの宗教に勧誘されているみたいで、どこか胡散臭いと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし以前の記事で書きましたが、うつの症状に悩まされていた私自身が、文学や哲学、宗教、精神医学に関する本を読み、考え、やがて、<私>という存在は、私自身の力のみによって生きているのではなく、<見えない何か>によって生かされているのだ、ということに気づくことで、自分自身の心の問題を解決していったという経緯があります。
また、私自身、どこかの教団に属し、特定の宗教を信仰をしているわけではありませんが、毎日の生活に、呼吸を深めることや、ヨガ、マインドフルネス瞑想などを取り入れることで、<いのち>や<からだ>を感じる時間を増やしてみることで、何でも頭の中で考えていた頃よりも、気持ちが楽になりましたし、体調も良くなったのです。
それは、<あたま>ではなく、<からだ>から生きるためのチカラをもらっているという感覚であり、生きていること自体が、気持ちよいと感じられることでもありました。
そのため、<いのちの働き>とは、生きている限り、誰にでも最初から共通して与えられているものなのだと私自身は感じますし、<いのちの働き>に目覚めることは、決して特定の宗教を信じたり、スピリチュアルな世界に傾倒したりすることと、直接結びつくわけではないと思うのです。
私自身がここでお伝えしたい<いのちの働き>に目覚めるとは、分かりやすくいうと、頭のなかでいろいろと考えすぎてしまう時間を減らし、代わりに自分以外の存在を<感じる>時間を増やすということなのです。
うつを解消していくためには、心の中に感じる部分をもつことも大切
<いのちの働き>を感じるためのレッスン
そういうわけで、ここではその<いのちの働き>を個人のレベルで少しずつ感じられるようにするレッスンを三つ紹介してみたいと思います。
その<いのちの働き>を感じるための三つのレッスンとは、
です。
1、自然に触れる
自然のなかには、生命力に満ちた自分以外の存在が、溢れているように思います。
山のなかを散策すれば、森のなかの樹々や草花、小鳥のさえずりなどに気づかされますし、海をしばらく眺めていれば、ひとつとして止まることのない波の動きに圧倒されたり、癒されたりします。
また、遠出しなくても、晴れた日は近くの公園で日光浴をするのもオススメです。わたしたちを生かしてくれている太陽の光をしばらく浴びていれば、そのぶん、エネルギーが充てんされ、元気をもらうこともできます。
もちろん、自然のなかで、呼吸を深めながら五感をフルに働かせ、マインドフルネス瞑想を行なったり、身体を動かしたりするのもお勧めです。
2、ゆっくりとした運動を行う
ゆっくりとした運動を行うことで、自分の<からだ>があること、すなわち生きている事、<いのちの働き>に気づきやすくなります。一方、普段から頭で考えてばかりだったり、俯いてスマートフォンなどを操作していたりすると、身体性を意識しにくくなり、からだも柔軟性を失って固くなってしまいます。
しかし<いのちの働き>を感じられるような、ゆっくりとした運動によって<からだ>が良い方向に変わることが出来れば、その分、心の状態も良い方向へ変化していくことは十分考えられます。
ゆっくりと動くことによって、これまで自分が感じることが少なかったカラダの部分を微細に感じられるようになれば、そのことが、<いのちの働き>を感じることにつながっていきます。
そのためのゆっくりとした運動としては、ヨガや太極拳などが挙げられますが、ストレッチやスロージョギングでも構いませんので、自分が始めやすい運動を見つけてみると良いと思います。
3、<食べること>を意識する
私たちは毎日食事を行っていますが、食べる事とは、生きるために、自分以外の存在から、<いのち>をいただいている行為に他なりません。
しかし毎日の食事が、コンビニエンスストアやスーパーマーケットで買える加工食品ばかりになってしまうと、どういうわけか、<いのち>を頂いているという感覚が稀薄になっていきます。
また、加工食品の多くは、栄養素がきちんとバランスよく含まれていないため、食事の中心がカップラーメンなどの加工食ばかりになってしまうと、栄養不足によって心と身体の元気が失われる可能性もあります。
そのため、新鮮な野菜や果物など、精製されていない食べ物を、ゆっくりと咀嚼しながらなるべく舌で味わうようにする事も、日頃から<いのち>を感じるようにするトレーニングになります。
そのほか、私たちは、自分の力だけで生きているのではなく、腸に生息する腸内細菌など、無数の微生物たちによって生かされている(共生している)という事実も、忘れてはならないような気がします。したがって、腸内細菌のエサになる食物繊維を多く摂ることも大切になってくると考えられます。
以上、ここまで<いのちの働き>を感じるための三つのヒントを紹介してみました。
少しずつで出来る範囲で構いませんので、自分なりに<いのちの働き>に触れるために、
- 自然に触れる
- ゆっくりとした運動を行う(ヨガなど)
- <食べること>を意識する
というこれらの習慣を続けてみてください。
もしかしたら、心の悩みを解決するヒントが何か見つかるかもしれません。
うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。
人は何のために生きるのか?-『人生に意味はあるか』
当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善と糖質制限)、運動と瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。
今回の記事では、諸富祥彦氏の別の著作である『人生に意味はあるか』(講談社現代新書)を取り上げながら、「人は何のために生きるのか?」ということに少しふれてみたいと思います。
前回の記事では、うつという心の問題を少しでも解決していくために、諸富祥彦氏の『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』を紹介しながら、人生における満たされない<むなしさ>を解消するためのヒントについて考えてみました。
そして、私たちは<いのちの働き>によって生かされているということに気づくことが、満たされない<むなしさ>を解消するきっかけになるのではないか、と述べてみました。
今回取り上げる『人生に意味はあるか』のなかでは、諸富氏は「人は何のために生きるのか」「人生のほんとうの意味と目的は何か」の答えとして、以下の三つを挙げています。
1、「〝人生のほんとうの意味と目的〟をどこまでも探し求め続けるため。最後まで求めぬくため。」
2、「その極限において、究極のリアリティである〝いのちのはたらき〟に目覚めるため。そして、この私も、ほかならないその〝はたらき〟がとった一つの形であることに――〝いのちが私している〟という真理に――目覚めて生きるため。」
3、「今あなたが置かれている状況からの日々の問いかけに応え、あなたの人生に与えられた使命を果たし、〝未完のシナリオ〟を完成させていくため。」
諸富祥彦氏は、「人生の意味や目的」についての答えとして、このように述べており、これらの答えに興味が湧いた方は、実際に本書『人生に意味はあるのか』を手にとってみていただきたいと思います。
しかし実際のところ、「人生に意味や目的はあるのか?」という問いは、思い悩む当人にとっては非常に答えを出すのが難しい問題と思われます。
なぜ答えを出すのが難しいのかといえば、その理由は、どのようなことに「人生の意味や目的」を見出すかは、人それぞれ違ってくるからです。
そのため、本から影響を受けたり、他人からアドバイスやヒントをもらったりしたとしても、自分にとっての「人生の意味や目的」を見出せるのは、最終的には自分自身以外にいないのです。
何のために、生きるか。
人はなぜこの世に生まれ、そして何のために生きていくのか。
この問いは、老若男女を問わず、これまで無数の人々が幾度となくつぶやき、そして途方に暮れてきた問いです。昨日も、今日も、そして明日も、どこかで誰かが、この問いをつぶやいていることでしょう。
人はみな、いずれ死ぬ。
気づいたときにはこの世に産み落とされ、そして生き、さまざまな苦しみや喜びを経験して、その末にいやおうなく命を奪われていく。自分の意志とはかかわりなしに……。
自分がどこから来て、どこに行くのか。それすら知らされないまま、どう生きるべきかを考えながら、生きていくよう定められた存在。それが人間。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p7~8)
諸富祥彦 『人生に意味はあるか』 講談社現代新書
ですが、諸富祥彦氏の『人生に意味はあるか』は、「人生には意味や目的があるのか?」という、簡単には答えが出ない問いについて悩んでいる方は、一度読んでみても損はないと思います。
なぜなら、著者の諸富氏は、この本について、「この本に紹介されたさまざまな考えを、あくまで参考にしながらも鵜呑みにはせず、「自分の人生の意味と目的を自分で探求していく道」を歩んでいただきたいと思います」と述べているからです。
科学的知識と異なり、人生の真理には、ある種の体験を経なくてはなかなか理解できないことがあります。
したがって私は、「どんな答えに行き着くか」よりも、「どう探し求めるか」「どれほど本気で答えを探し求めるか」のほうが、より重要であると思います。人生の真理は、あくまで自分の体験を通して得たものしか、自分のものにはならないからです。
読者の方には、この本に紹介されたさまざまな考えを、あくまで参考にしながらも鵜呑みにはせず、「自分の人生の意味と目的を自分で探求していく道」を歩んでいただきたいと思います。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p11~12)
諸富祥彦氏は「人生に意味はあるか?」という問いの答えを見つけるヒントを、本書において、宗教や文学、哲学、スピリチュアリティ、トランスパーソナル心理学やフランクルの思想などから探り出そうとしています。
そして、第7章に「私の答え」として、「いのちが、私している」ということについて述べています。
<いのちの働き>は「意味」を超える
<いのちの働き>に出会ったという諸富氏の経験については、「むなしさ」について書いた前回の記事でも述べましたが、氏は、「中学三年生の春から、おおよそ七年もの間、「人生の意味」を求め、いくら求めてもそれが求められずに苦しんで」いたといいます。
しかし大学三年の時に、疲れ果てた氏は、観念してその問いを放り投げてしまったというのですが、力尽き、「問いを投げ出した」ことで、「なぜか倒れることも崩れ落ちることもなく、立つことができている自分の姿」を見たと述べています。
この時に出会ったのが、気づかないだけで前からずっとあった、<いのちの働き>と呼ばれるものです。
私はこれまで気づかずにきたけれど、この何かはずっと前からそこに与えられていた。私を生かし、私をあらしめ、私を成り立たしめてきた。つまりこの何かこそ、私の真実の主体なのだ。そして今、この何かがそれ自体で立っている。だからその結果、私も立っていられるのだ。
この「何か」は「働きそのもの」である。あえて名前を付ければ<いのちの働き>とでも呼ぶよりほかない何かである。私の底の<いのちの働き>。(略)
つまり私は、<いのちの働き>に生かされている。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p185~186)
この瞬間に、私ははじめてこの「はたらき」が、うずを巻いて現成したのを見たけれど、実はそれは、ずっと前からそこにあった。あったどころか、私が生まれてからこの方、いつもずっと、私を成り立たしめてくれた当のものであったのです。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p198)
私はそれまで、自分がどう生きるべきかと悩むのに忙しくて、それに気づかずにきたけれど、このはたらきは、実は、ずっと前からつねにすでに与えられており、私を生かし、私をあらしめ、私を成り立たしめてきていた、ということ。つまりこの「はたらき」こそ私の真実の主体であり、この「はたらき」がそれ自体ではたらいているからこそ、それによって、私も立っていられるのだということ。むしろ「私」は、このはたらきの一つの形にすぎない、ということ。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p198~199)
そして、『人生に意味はあるか』の著者である諸富祥彦氏は、この<いのちの働き>に目覚めることで、思い悩む必要がなくなり、「悩みそれ自体が消え去っていった」と述べています。
<いのち>を生きることがうつをやわらげるきっかけになる
もちろん、だからといって、人生の意味に悩む多くの方が、悩みが消え去るほどの<いのちの働き>を、日常生活において経験するとは限らないと思います。
ですが、諸富氏のいう「いのちのはたらき」について考えてみること、あるいは感じてみることは、人生の意味や目的を解決するヒントになるのではないか、と私自身は思います。
また、「人生の意味や目的」は、頭のなかで考え抜いて導き出すだけではなく、もしかしたら自分という存在の外側からやってくるのかもしれない、もしくは、気づかないだけですでにそこにあるのかもしれない、という視点を持ってみることも大切ではないでしょうか?
この「はたらき」は、天然自然。意味無意味を超えた「いのちのはたらき」です。その意味でそれは、超・意味です。またそれは、意味があるとかないとかいう観念的な意味づけに先立って、ずっと前からそこではたらいていたものです。その意味でそれは、前・意味であり、脱・意味であると言うこともできるでしょう。
この「はたらきそのもの」について語るとき、忘れてはならないのは、その「つねに、そしてすでに」という性質です。(諸富祥彦『人生に意味はあるか』 p198)
前回の記事と同様、この諸富氏の<いのちの働き>との出会いの経験をなぜ取り上げたのかといえば、実は私自身も、20代のあいだは、「何のために生きるのか」「人生に意味はあるのか」という問いに悩まされており、うつの状態になることが多かったからです。
また、諸富祥彦氏のように劇的ではありませんが、<いのちの働き>に気づくことで、自分が抱えている心の問題を解決していったという経緯があるからなのです。
私自身の体験は、文学や哲学、宗教、精神医学に関する本を読み、考え、やがて、<私>という存在は、私自身の力のみによって生きているのではなく、<見えない何か>によって生かされているのだ、ということに気づくことでした。
そして、毎日の生活に、呼吸を深めることや、ヨガ、マインドフルネス瞑想などを取り入れることで、<いのち>や<からだ>を感じる時間を増やしてみました。
すると、ろくに体を動かさず、何でも頭の中で考えていた頃よりも、気持ちが楽になりましたし、体調も良くなりました。
もちろん、自分の身に起きた出来事や天候の影響など、何かのきっかけで、気持ちが沈み込むことはありますが、それでも<いのちの働き>と呼ばれるような、目に見えない何かに関心を持つようになってからは、以前より気分が落ち込むことは少なくなったと思います。
人生をより豊かにするために、いのちを感じる時間をもってみる
ひとつお断りしておきたいのは、この記事の内容は、<いのちの働き>に目覚めることで、特定の宗教を信じたり、スピリチュアリティに根差した生き方を押しつけたり、何かのセラピーやワークへの参加を勧めたりするものではない、ということです。
ただ、頭のなかでいろいろ考えすぎるのを止め、代わりにゆっくりとした運動や、呼吸法、瞑想などを行うことで、<からだ>や、そのからだを生かしている<いのち>を感じる時間をもつようにしてみることは、うつを少しでもやわらげるきっかけになるのではないか、と思うのです。
このことはあくまでひとつの提案ですが、考えるだけではなく、何かを感じてみることも、人生をより豊かなものにするために必要であるような気がします。
うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。