うつを腸内フローラ改善と糖質制限で治すための方法ブログ

うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ改善と糖質制限、DHA)、運動と瞑想で治すための方法ブログです。

〈いのちの働き〉は満たされない「むなしさ」を解消するヒント

 当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

前回の記事では、はうつという心の問題を少しでも解決していくために、諸富祥彦氏の『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』を紹介しながら、生きることの<むなしさ>について考えてみました。

 

今回の記事では、『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』を取り上げながら、人生においてなかなか満たされない〈むなしさ〉を解消するヒントについて考えてみたいと思います。

 

前回、私は、どういうわけか「満たさない」「むなしい」「生きていることに意味はない」などと、つい思ってしまうのには、個人の心の問題だけではなく、個人の心をなおざりにした、産業中心・利益重視の社会構造も関係しているように思うと書きました。

 

そのため、ふとした瞬間に「生きることのむなしさ」を感じてしまうことは、自分の気持ちに敏感な人にとっては、ごく自然なことのように思います。

そして、前回のおさらいですが、その時々感じられる「むなしさ」を、「私たちの人生に何が欠けているかを告げ知らせてくれる貴重なメッセージ」として受け取ることが大切だと、諸富祥彦氏は述べていました。

 

 どこかむなしい。つまらない。

 心の底から満たされる「何か」が足りない、という心のむなしさ。

 時折おとずれるこの「心のつぶやき」を、私たちはふつう、何かよくないもののようにして、それから身を遠ざけようとする。

(中略)

 けれど、実はこれは、たいへんにもったいないことである。むなしさは、私たちの人生に何が欠けているかを告げ知らせてくれる貴重なメッセージだからである。

 だから、私たちのむなしさからの出発は、自分の内側で口が開けているそのむなしさから目を逸らさずに、きちんとそれを見つめることから始めなくてはならない。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p106~107

 

また、諸富氏は、「むなしさから目をそらさず、しっかりと見つめる」こと、そして、「あくまで自分自身の頭と心とからだとで、「生きる意味」をどこまでも問い求めていくということ」も、人生のむなしさという悩みを解決するために必要になってくるとしています。

 

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

むなしさを解決するヒント<いのちの働き>

ちなみに『〈むなしさ〉の心理学』を書いた著者の諸富祥彦氏も、若い頃、「「何のために生まれてきたのか」「どう生きればいいのか」という問いにつかれて悩み苦しんでいた」といいます。

しかし大学三年の時に、疲れ果てた氏は、観念してその問いを放り投げてしまったというのですが、しかし力尽き、「問いを投げ出した」ことで、「なぜか倒れることも崩れ落ちることもなく、立つことができている自分の姿」を見たと述べています。

 

そして、以下のように述べています。

 

 私はこれまで気づかずにきたけれど、この何かはずっと前からそこに与えられていた。私を生かし、私をあらしめ、私を成り立たしめてきた。つまりこの何かこそ、私の真実の主体なのだ。そして今、この何かがそれ自体で立っている。だからその結果、私も立っていられるのだ。

 この「何か」は「働きそのもの」である。あえて名前を付ければ<いのちの働き>とでも呼ぶよりほかない何かである。私の底の<いのちの働き>。(略)

 

 つまり私は、<いのちの働き>に生かされている。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p185~186

 

ここで、諸富祥彦氏が述べている<いのちの働き>とは、「私の底」に与えられている、「私自身よりも大きな何かの働き」のことです。

しかし、いきなり<いのちの働き>といわれても、漠然としているため、うまくイメージできないかもしれません。そこで諸富氏は、<いのちの働き>について以下のように説明しています。

 

 <いのちの働き>とは何なのか、まだ今ひとつよくわからない方もおられるだろう。

 けれど私が言っているのは、実は少しも難しいことではない。

 イメージのわかない方は、次のような場面を思い浮かべてほしい。

 いろいろなことが思うように運べばない。悩んでも悩んでも、ちっとも事態は変わらない。

 にっちもさっちもいかなくなって、死にたいと思うのだけれど死にきれない。自分の置かれている現実から逃げるわけにはいかないことがわかっている。

 けれどふと、あまりの重苦しさに耐えきれなくなって「もう、どうにでもなれ」「どうなったって、かまわない」と、すべてを投げ出してしまいたくなる。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p190

 

 そんな時私たちは、それでも自分のからだの内側に、ほのかに息づく何かを感じることがある。死のうが生きようが関係ない。そのような私たちの思い煩いとは関係なく、からだの内側で勝手に生き働いている何かを感じることがある。

 それが、ここで言う<いのちの働き>である。それは、私たちがすべてを投げ出してしまった後でも、それに関係なく、勝手に生き働いている。それは、それ自体生命を持ち、意志を持つ何かである。(

 

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』 講談社現代新書

 

<いのち>を感じることは「むなしさ」を解消するヒント

ここまで「むなしさ」を解消するヒントを考えるために、『〈むなしさ〉の心理学』の著者である諸富祥彦氏が述べる<いのちの働き>というものに触れてみました。

 

なぜここで<いのちの働き>というものを取り上げたのかといえば、実は私自身も、20代のあいだは、「何のために生きるのか」「生きていることはむなしい」「どうせいつか死んでしまう」という考えに悩まされており、諸富祥彦氏と同じように、<いのちの働き>に気づくことで、自分が抱えている問題を解決していったという経緯があるからです。

 

私自身の体験は、諸富氏のように劇的なものではないかもしれませんが、ひたすら文学や哲学、宗教、精神医学に関する本を読み、考え、やがて、<私>という存在は、私自身の力のみによって生きているのではなく、見えない何かによって生かされているのだ、ということに気づくことでした。

 

そして、この「見えない何か」とは、科学を中心とした合理的な思考だけでは捉えきれない、生命そのものともいうべき<何か>なのであり、ただ頭で考えているだけでは、なかなか気づくことが出来ない性質のものなのです。

 

このように述べると、何か怪しい宗教を信じているようでどこか胡散臭いと感じる方もいらっしゃるのかもしれませんが、「見えない何かによって生かされている」という感覚は、特定の宗教を信じることと、すぐに結びつくわけではありませんし、「見えない何かによって生かされている」という感覚に気づいたからといって、何かの宗教を信じる必要はありません。

 

そのようなことよりも、ただシンプルに、いま<私>が生きていられるのは、「私たちの思い煩いとは関係なく、からだの内側で勝手に生き働いている何か」、すなわち<いのちの働き>のおかげだと気づくことが、人生における満たされない「むなしさ」を解消するヒントになるように思うのです。

 

なぜなら、<いのちの働き>とは、生きている限り、誰にでも最初から共通して与えられているものだと言えるからです。

 

では、この<いのちの働き>に気づくにはどうしたら良いのでしょうか? 

 

その答えとしてはまず、胸に手を当てて心臓の鼓動を感じたり、お腹に手を当てて深く呼吸してみたりすることで、<からだ>は私が頭でいろいろ考えることと関係なく、常にあたたかく生きているということを実感してみることが挙げられます。

 

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 うつを緩和するには、腸内環境の改善と糖質制限、食事・運動・瞑想が大切です。

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生きることの空しさと向き合う―『<むなしさ>の心理学』

 当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

今回はうつという心の問題を少しでも解決していくために、諸富祥彦氏の『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』を取り上げてみたいと思います。

 

以前の記事では、孤独のつらさを克服していくために、諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』を取り上げましたが、今回ご紹介する『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』という著作は、人生のむなしさを解消するきっかけをつかむためにオススメです。

 

現代社会においては、「何のために生きるのか?」「なぜ生きることはむなしいのか?」といった問いに悩んだ経験をお持ちの方は多いのかもしれません。

また、お金のために毎日働いていても、どこか心が満たされない、と感じている方も、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?

 

私自身は、どういうわけか「満たさない」「むなしい」「生きていることに意味はない」などと、つい思ってしまうのには、個人の心の問題だけではなく、生きていることが「素晴らしい」「気持ちよい」「楽しい」と感じることが出来ないような、個人の心をなおざりにした、産業中心・利益重視の社会構造も関係しているように思います。

 

たとえば今から20年前の1997年に出版された本書には、

 

 どうしたわけか、私たち日本人は今、ほんとうに疲れ切ってしまっている。

 モノは溢れているのに元気がない。いのちが活性化されていない。エネルギーがどこか滞っていると言ってもいい。

 むなしさの時代。今私たちが生きているこの時代の、いったい何が私たちをそんなふうにさせてしまうのだろう。

(中略)

 終わらない日常。見えすぎる不安。透明な閉塞感。

 巨大なシステムの中に飲み込まれて暮らしている現代人。

 そこには、私たちの生きる意欲をじりじりと奪い取らないではいない何かがある。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p44

 

という一節がありますが、2017年の現在に読んでも、まったく違和感はありません。

おそらく、人生における「生きる歓び」が失われてしまったのは、今に始まったことではなく、どこの国でも近代化が進み、産業社会が発展するにつれて、「ひと」や心の領域のことよりも「モノ」が中心になり、日々の生活において「生きがい」や「生きる意味」を感じることが難しくなっていったように思われるのです。

 

そのため、ふとした瞬間に「生きることのむなしさ」を感じてしまうことは、ごく自然なことのように思います。

そして、その時々感じられる「むなしさ」を、「私たちの人生に何が欠けているかを告げ知らせてくれる貴重なメッセージ」として受け取ることが大切だと、諸富祥彦氏はいうのです。

 

 どこかむなしい。つまらない。

 心の底から満たされる「何か」が足りない、という心のむなしさ。

 時折おとずれるこの「心のつぶやき」を、私たちはふつう、何かよくないもののようにして、それから身を遠ざけようとする。

(中略)

 けれど、実はこれは、たいへんにもったいないことである。むなしさは、私たちの人生に何が欠けているかを告げ知らせてくれる貴重なメッセージだからである。

 だから、私たちのむなしさからの出発は、自分の内側で口が開けているそのむなしさから目を逸らさずに、きちんとそれを見つめることから始めなくてはならない。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p106~107

 

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

むなしさから目をそらさず、しっかりと見つめる

本書『〈むなしさ〉の心理学』のなかでは、フランクルの心理学やトランスパーソナル心理学などを紹介しながら、具体的に「むなしさ」を超えていくためのヒントが多く記されていますが、重要なのは、「むなしさから目をそらさず、しっかりと見つめる」ことだといいます。

 

 むなしさから目をそらさず、しっかりと見つめる。

 そして自分の頭と心とからだとで、「生きる意味」をどこまでも問い求めていく。

 私が今、話しているのは、たったこれだけの実にシンプルな方法である。

 これはしかし、きわめてしんどい作業である。

 現代社会には、もっと手軽で簡単に「生きる意味」を与えてもらえそうな魅惑的な商品がゴロゴロ転がっている。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p123

 

ちなみに「魅惑的な商品」とは、自己啓発セミナーや新興宗教、瞑想、チャネリングなどのことで、諸富氏は、これらを「頭ごなしに否定するつもりはない」「いい経験ができればそれでいい」としています。

 

しかし、「質の悪いセミナーやセラピーのすべてに通じるのは、ほかの誰かや既成の理論を「信じる」ことから始まる、という点である」と述べており、誰かの理論を「信じる」ことから始まるような、魅惑的な商品に安易に自分を委ねてしまうことは問題だとしています。

 

 いずれにせよ、そこでは、自分がこれからどう生きるかを、ほかの誰かに委ねてしまっている。これは、自分の人生に対する責任放棄、責任転嫁にほかならない。

 くり返し言おう。「生きる意味」を問い求める時に、一番大切なこと。それは、自分のむなしさから目を逸らさずに、それをしっかり見つめること。そして、あくまで自分自身の頭と心とからだとで、「生きる意味」をどこまでも問い求めていくということ。

 このきわめてシンプルで厳しい道のりを、どこまでも歩んでいくことである。(諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』p124

 

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学 なぜ満たされないのか』 講談社現代新書

 

生きることの「むなしさ」を解消するのは、決して簡単なことではないかもしれません。

しかし簡単に解消されることのない「むなしさ」の問題を解決するヒントは、「むなしさ」から目を背けるためにお金を使って特定の商品を買うことではなく、まず、「自分のむなしさから目を逸らさずに、それをしっかり見つめること」にあるのだと思います。

 

そしてそこから、今度は「あくまで自分自身の頭と心とからだとで、「生きる意味」をどこまでも問い求めていくということ」が必要になってくると諸富氏は述べていますが、もし自分で生きる意味をどこまでも問い求めていくことが出来れば、時間はかかるかもしれませんが、少しずつ、生きることのむなしさが解消されていくように思うのです。

 

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孤独を克服するためのヒントとは?―『孤独であるためのレッスン』

 当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

今回はうつという心の問題を少しでも解決していくために、前回の記事では、心理カウンセラーである諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』という本を取り上げましたが、今回はこの諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』を紹介しながら、孤独を克服するためのヒントについて考えてみたいと思います。

 

現代社会においては、メールはもちろんのこと、SNSやLINEなど、誰かとつながるためのツールが身の回りにたくさんあります。

しかし、実は<孤独>であることや<ひとり>でいること、もしくは、親身になって自分の話を聴いてくれる人が一人もいない、ということについて悩んでいる方は意外と多いのかもしれません。

 

また、自分は本当はSNSやLINEなどのなかの仲間の輪に参加したくないと思っているのに、必要以上に<孤独>であることを怖れたり、ひとりになることに不安を感じたりするため、仕方なく誰かとつながっているふりをしている場合もあるのではないでしょうか?

 

このような現代人の孤独感について諸富祥彦氏は、『孤独であるためのレッスン』のなかで、

 

「ひとりでいるという事実よりむしろ、「あいつはひとりだ」「ひとりでいる変なヤツだ」と周囲や世間から思われているまなざしを気にかけ、自分で自分を追い詰めている」

 

としています。

 

そして、孤独は良くないことだとする世間の目を気にするあまり、劣等感をつのらせ、その結果、「自分の孤独を、ひとりでいることを肯定的に受け止め、ひとりのままで人生をエンジョイ」できていないと述べています。

 

<孤独>であること、<ひとりでいる>こと

 

私自身は、<孤独>であること、<ひとりでいる>ことは、決して「悪い」ことではないと思います。

そのため、<孤独>であることを肯定的に捉える立場ですが、しかし、「家族も友達も恋人もいらない」と宣言し、あえて一人ぼっちになって生きようとするような生き方を推奨するつもりはありません。

むしろ諸富氏が、

 

 〝ひとり〟でいることのできない人間関係は、たいへん不自由なものです。絶えず他人の視線を気にし、他人と自分を比較し、評価し続ける、がんじがらめの人間関係です。人間関係の〝評価〟や〝しがらみ〟に捕らわれた生き方、と言ってもいいでしょう。

 一方、〝ひとり〟でいることのできる人の人間関係は、とても自由で、柔軟で、開かれたものです。他人の視線はあまり気になりませんし、他人と自分を比較したり、評価し続けたりすることもありません。他者とのほんとうの〝つながり〟に開かれた生き方と言ってもいいでしょう。

 そうです。私たちはまず、〝ひとり〟でいる決意をしなくては、真の人間関係に、真の〝つながり〟に開かれることもできません。

 〝ひとり〟でいる決意をし、自分の孤独を深めることができた人にだけ、他者との真の出会いも可能になるのです。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p20

 

と述べているように、あえて孤独を選択することによって、「他者との真の出会い」を求めていくことが可能になるように思われるのです。

 

 孤独な人が、その孤独をまっとうして生きていくためには、心のうちで、人間を超えた〝何ものか〟と対話しながら生きていくような視点を保持することが不可欠であると、私は思います。人が、その孤独を貫いて生きていくには、心のうちで、自分を超えた何かと対話しつつ生きていくことが不可欠である、と思うのです。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p181

 

そうしたまなざしさえ欠いたまま―つまり、単に物理的に孤独であるだけでなく、心のうちにも対話の相手を持たずに文字通りたったひとりで―孤独を貫くことができるほど、人間は強い生き物ではないからです。大切なのは、物理的にひとりであるかどうかではない。心のうちに対話の相手を持った孤独こそ、真に充実した、鍛えられた孤独なのです。(

 

孤独であるためのレッスン

<孤独>を積極的に受け入れることで現代社会をよりよく生きる

また、諸富祥彦氏が、「心のうちにも対話の相手を持たずに文字通りたったひとりで―孤独を貫くことができるほど、人間は強い生き物ではない」と述べている通り、現実社会にも、心のうちにも、対話の相手がいないというのは、生きていくうえでかなりしんどいのです。

 

しかし、かといって、ちょっとした孤独に耐え切れず、安易にパソコンやスマートフォンの世界のなかで簡単に誰かとつながろうとしてしまっては、自分が<孤独>によって鍛えられることは決してありません。

 

 大切なのは、多少、不安になったり、つらさやさみしさが襲ってきたとしても、そこから逃げ出さないこと。しばらく、じっと、そこにいること。そこに、とどまり続けることです。

 孤独であることの不安やさみしさに耐え、じっとそこにとどまっていると、次第に孤独であることの新たな意義が見えてきます。新しい感覚が生まれてきます。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p244

 

まず行うべきは、自分のなかの孤独と向き合い、孤独であることを肯定し、自分が孤独であることを受け容れることなのです。

 

 孤独を恐れるな。

 孤独は、人生の普遍的な本質であり、人間であることの真実なのだから、孤独であることをみずから積極的に引き受けよ。

 人はみな、ひとりで生きていく。

 この真実を深く引き受けた人間だけが、自分自身と対話し、より深い心の知恵を聴きながら、生きていくことができる。自己との対話を絶えず積み重ねることでしか手に入れることのできない、精神の厚みを増すことができる。

 つまり、孤独な人間だけが、自分自身と対話し、自己と出会うことができる。

 また、そのようにして、自分自身と出会い、自分の心の声を聴くことのできる孤独な人間同士だけが、深く出会うことができる。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p172

 

まずは自分が孤独であることを引き受ける勇気を持つ

真に孤独を乗り越えることは、簡単ではありません。

孤独を克服したつもりでも、何かのきっかけで<ひとりであること>のつらさや寂しさを感じることはあると思いますし、それは人間としては当たり前だとも思います。

しかし<孤独>と向き合うことによって、初めて出会うことが出来る<つながり>もあるのだと思います。

 

そのつながる相手とは、単純に人とは限らず、自分自身の知らない部分であったり、本のなかの登場人物や作者であったりするかもしれません。もしくは、自然のなかの動物や植物、鉱物、神秘的な風景などかもしれませんが、そのつながる相手とは、もし孤独を自分で受け入れなかったら、決して出会えなかった<何か>なのであることは確かです。

このことは反対に言えば、いくら孤独を感じているとしても、私たちは現実世界に生きている以上、本当はつねに何らかの存在とつながっているのだということを意味するのであり、孤独を感じている間は、ただ、そのことに気がついていないだけかもしれないのです。

 

そのため、孤独を克服するためにまず大切なのは、自分が孤独であることを引き受ける勇気なのです。

 

  もし、孤独を癒すことのできる人間関係がありうるとすれば、それは、その関係の中で、互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、その関係の中で、互いがますます深くひとりになり、自分自身になりきることができるような人間関係でしか、ありえないであろう。

 孤独は素晴らしい。

 人が真の自分に出会うのも、自分の人生で何がほんとうに大切かを知るのも、すべては孤独において、である。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p254

 

諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』

<孤独であること>を本当の意味で克服することは難しい

ここまで孤独を克服するためのヒントについて、『孤独であるためのレッスン』を紹介しながら書いてきましたが、もちろん、私自身、<孤独>であることを真の意味で解決したわけではありません。

先ほども述べましたが、たとえ孤独を克服したつもりでも、大事なものをなくしたり、誰かを失うという離別の悲しみを味わったり、急に寒い一日が訪れたりすることによって、心は<孤独>や<寂しさ>を感じてしまうものなのだと思います。

今回ご紹介した『孤独であるためのレッスン』を書いた諸富祥彦氏も、「忙しい毎日を走り抜けつつ、とても充実した日々を送っているつもり」でも、「突然ふと、とてつもない孤独感に襲われる」ことがあると、「おわりに」のなかで書いています。

 

そのため、<孤独>であることを解決するのは、決して簡単ではないかもしれませんし、いつまでも解決できないのかもしれませんが、<孤独>であることに悩んでいて、この『孤独であるためのレッスン』に興味が湧いた方は、ぜひ、実際に手に取って読んでみていただきたいと思います。

 

既に成熟社会を迎えた、否、成熟した大人になることが必須の課題となるこれからの日本では、〝速さ〟(効率)や〝多さ〟(量)といった水平的な尺度に価値が置かれてきたこれまでと異なり、〝深さ〟という垂直次元の尺度に価値が置かれるようになってくる。そんな時代をタフにしなやかに生き抜いていくために最も必要な能力こそ、孤独になる能力、孤独になって自分の心と対話し、想像力を駆使してものごとを多様に構想することができる〝能力〟なのです(『孤独であるためのレッスン』 プロローグより)

 

本書を読むことで、今よりも孤独を克服するためのヒントが見つかるかもしれません。

 

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『孤独であるためのレッスン』 諸富祥彦 著

 当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

今回はうつという心の問題を少しでも解決していくために、心理カウンセラーである諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』という本を取り上げたいと思います。

 

諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』

 

この諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』は、2001年に出版された本ですが、その内容はまったく古びておらず、孤独がつらいと感じている人にとっては、いつの時代に読んでも、心を打つものがあると思います。

 

今の時代は、スマートフォンSNS、LINEで簡単に誰かとつながることは出来ますが、しかし、だからといって、本当の意味で孤独が癒されるように感じることは、少ないのではないでしょうか?

また秋冬の寒い季節になってくると、寒さによって孤独感が増し、身も心も打ちひしがれそうになります。

 

現代社会においては、つながるためのツールが身の回りにたくさんあるといっても、実は<孤独>であること、<ひとりでいること>に悩んでいる方は多いのではないでしょうか?

 

しかし<孤独>であることや、<ひとりでいる>ことは、それほど「悪い」ことなのでしょうか? 「いけない」ことなのでしょうか?

私自身は、<孤独>であること、<ひとりでいる>ことは、決して「悪い」ことではないと思います。

 

この孤独であることの悩みについて諸富祥彦氏は、

 

「ひとりでいるという事実よりむしろ、「あいつはひとりだ」「ひとりでいる変なヤツだ」と周囲や世間から思われているまなざしを気にかけ、自分で自分を追い詰めている」

 

と、『孤独であるためのレッスン』のなかで述べています。

 

つまり、孤独は良くないことだとする世間の目を気にするあまり、劣等感をつのらせ、その結果、「自分の孤独を、ひとりでいることを肯定的に受け止め、ひとりのままで人生をエンジョイ」出来ていないというのです。

 

そのため、著者の諸富祥彦氏は本書『孤独であるためのレッスン』を以下のような方に読んで欲しいと述べています。

 

・いつもまわりに合わせて生きてきて、〝自分〟というものを意識することがあまりない。

 

・他人の視線や評価が気になるから、〝自分〟を出すことが苦手だ。

 

・〝自分〟がわからなくなることがある。〝自分〟がほんとうにしたいことは何か。自分でも、わからなくなることがある。

 

・〝ひとり〟になるのがこわいから、いつも誰か仲間の中にいる。

 

・いつも友だちや仲間に囲まれて生きてきて、〝ひとり〟になったことがない。だから〝ひとり〟になる人の気持ちもわからないし、〝ひとり〟になるなんて考えられない。

 

(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p17より抜粋)

 

・いつもひとりでいることが多い。仲間にうまくなじめない。

 

・自分は人と違う。何が劣っているのでは、と思ってしまい、自信がない。

 

・ずっとフリーターで生きている。どこにも所属していない自分を、世間は変な人間のように思っているに違いない。

 

・三〇歳をすぎても結婚する気になれない。けれど親や周囲の人の視線が気になる。

 

・結婚はせず、子どもを産んで、シングル・マザーとして育てているが、世間の冷たい視線や無理解を感じる。

 

・今、不登校とか、出勤拒否の状態になっている。そんな自分を責めてしまう。

 

・しばらく家にひきこもっていて、こんな自分は世間から冷たい目で見られている、と感じてしまう。

 

(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p18より抜粋)

 

また、以下のような一節が、自分のなかの孤独と向き合い、孤独であることを肯定し、受け容れるために非常に参考になります。

 

 〝ひとり〟でいることのできない人間関係は、たいへん不自由なものです。絶えず他人の視線を気にし、他人と自分を比較し、評価し続ける、がんじがらめの人間関係です。人間関係の〝評価〟や〝しがらみ〟に捕らわれた生き方、と言ってもいいでしょう。

 一方、〝ひとり〟でいることのできる人の人間関係は、とても自由で、柔軟で、開かれたものです。他人の視線はあまり気になりませんし、他人と自分を比較したり、評価し続けたりすることもありません。他者とのほんとうの〝つながり〟に開かれた生き方と言ってもいいでしょう。

 そうです。私たちはまず、〝ひとり〟でいる決意をしなくては、真の人間関係に、真の〝つながり〟に開かれることもできません。

 〝ひとり〟でいる決意をし、自分の孤独を深めることができた人にだけ、他者との真の出会いも可能になるのです。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p20

 

 孤独を恐れるな。

 孤独は、人生の普遍的な本質であり、人間であることの真実なのだから、孤独であることをみずから積極的に引き受けよ。

 人はみな、ひとりで生きていく。

 この真実を深く引き受けた人間だけが、自分自身と対話し、より深い心の知恵を聴きながら、生きていくことができる。自己との対話を絶えず積み重ねることでしか手に入れることのできない、精神の厚みを増すことができる。

 つまり、孤独な人間だけが、自分自身と対話し、自己と出会うことができる。

 また、そのようにして、自分自身と出会い、自分の心の声を聴くことのできる孤独な人間同士だけが、深く出会うことができる。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p172

 

 孤独を癒すことができるのは、人とのつながりではない。

 孤独を癒すことのできる、ただ、一つの道。それは、孤独から抜け出すことではなく、より深く、より深く、その孤独を深めていくことだ。

 他者とのつながりをきっぱりと断ち切って、自分の孤独を、深さの方向へ、深さの方向へと、深めていくこと。そのことによってしか孤独は癒されず、表面的な人間関係はさらに孤独を強化するだけだ。(諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』p254

 

 もし、孤独を癒すことのできる人間関係がありうるとすれば、それは、その関係の中で、互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、その関係の中で、互いがますます深くひとりになり、自分自身になりきることができるような人間関係でしか、ありえないであろう。

 孤独は素晴らしい。

 人が真の自分に出会うのも、自分の人生で何がほんとうに大切かを知るのも、すべては孤独において、である。(

 

諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』

『孤独であるためのレッスン』 諸富祥彦 著 NHKブックス

 

<孤独>であることに悩んでいて、諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』に興味が湧いた方は、ぜひ、実際に手に取って読んでみてください。

 

本書を読むことで、自身の内面にとって何か新しい発見があると思います。

 

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うつ予防・体温を上げるための3つの習慣とは?

当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

前回は低体温とうつの関係について書きましたが、今回はうつ予防のために体温を上げるための方法について述べてみたいと思います。

 

うつの症状と体温の関係については、まだはっきりとしたことが分かっていないのかもしれませんが、からだが冷えるとどういうわけか、考え方もネガティブなものになりやすいため、うつの症状と体温はどこかで関係していると考えたほうが自然であるように思います。

特に必要以上の「ストレス」にさらされてしまうと、交感神経ばかりが優位になり、そのことによって血行が悪くなって、低体温に陥りやすくなるといわれています。

 

では、その低体温を避けるために普段からどのようなことを行うのが望ましいのでしょうか? 体温を上げる方法には様々なものがありますが、ここではお金をかけずに手軽に出来る三つの方法をご紹介したいと思います。

 

  1. スロートレーニングを行う
  2. 体を温める食べ物・飲み物を摂る
  3. 体温+4℃の熱めのお湯に浸かる

 

 

1、スロートレーニングを行う

体温を上げるためには、普段から30分程度のウォーキングを行なったり、筋力トレーニングを行ったりすることが効果的だとされています。そのため、低体温を避けるためには、そのような運動を日頃から行うことが望ましいのですが、ここでは特に「スロートレーニング」をご紹介したいと思います。

医師の齋藤真嗣氏は『体温を上げると健康になる』のなかで、「体温を恒常的に上げるもっともよい方法は、基礎代謝を上げることです」とし、

 

「体温を上げるためには、筋肉を鍛えることが必要」

「筋肉を鍛えるためには、無酸素運動が有効」

「筋肉を増やせば基礎代謝は自然と上がり、基礎代謝が上がれば体温も自然と上がる」

 

と述べています。

 

そして、「加圧トレーニングに近い効果をもちながら、家庭で一人でも安全に行える「スロートレーニング」」を紹介しています。

この「スロートレーニング」とは、「非常にゆっくりとしたスピードで行う筋肉トレーニング法」のことで、「具体的にいうと、一回のスクワットを一分間ぐらい、時間をかけて」行います。

 

 まず三十秒ぐらいかけてゆっくりと腰を落とし、また三十秒ぐらいかけてゆっくりともとの位置に戻す。これを、呼吸の回数を減らし、できるだけ無酸素に近い状態で行うのです。

 

 トレーニング量の目安としては、一分間一回のスクワットなら、自分の体力に合わせて一〇回から一五回ほど行っていただければ、かなりの筋肉増量につながります。もし、一〇回なんてきつくてとてもできないという人は、三回でも五回でもいいので、できる回数から徐々に増やしていくといいでしょう。(齊藤真嗣『体温を上げると健康になる』p95

 

普段からスクワットを行っていない場合、実際に1回のスクワットを1分間を目安に行ってみると、けっこう大変です。そのため、もしつらいというのであれば、いきなり無理せず、1回30秒を目安に、なるべくゆっくりとスクワットを行うだけでも、体温アップの効果を感じることが出来ます。またこのスクワットは、特に寝る前に行うのがオススメです。

 

ちなみに齋藤真嗣医師は「理想的な筋肉トレーニングは三日に一回程度です」と述べていますので、このゆっくりとしたスクワットは、毎日無理に行う必要はありません。

 

体温を上げると健康になる

 

2、体を温める食べ物・飲み物を摂る

普段、私たちが摂っている食べ物には、実は体を温めるものと冷やすものがあるとされています。このことは中医学における「陰」と「陽」の分類による食べ物の捉え方ですが、体を温める食べ物と冷やす食べ物の要素について、石原結實医師は、『病気が治る温め方』のなかで、

 

  1. 産地
  2. 固いか、柔らかいか
  3. 熱を加えてあるか否か
  4. 動物性食品と植物性食品
  5. 塩のきいた食物

 

などを挙げています。

 

 陽性食品は、外観が赤、黒、黄などの暖色をしており、固く(水分が少なく)、塩からく、北方に産する…などという特徴があります。また牛乳以外の動物性食品は陽性食品です。

 よって、肉、卵、チーズ、魚介、塩、みそ、醤油、明太子、つくだ煮、漬物、根菜類は、体を温める陽性食品なのです。

 逆に、水分の多いもの、青・白・緑の食物、南方産の食物は、体を冷やす陰性食品です。つまり、水、酢、牛乳、ビール、ジュース、バナナ、パイナップル、かんきつ類、コーヒー、緑茶、白砂糖…などです。(石原結實『病気が治る温め方』p24

 

生姜湯や紅茶、ココアなどは、体を温める飲みものとしてよく知られていますが、特に体が冷えやすい秋冬の季節は、食品の色や産地に気をつけ、体を温める作用がある食べ物や飲み物を意識的に摂ってみることをお勧めします。

 

病気が治る温め方

 

3、体温+4℃の熱めのお湯に浸かる

体温を上げるには、普段の入浴方法を少し変えてみるのも良いと思います。

夏場はぬるめのお湯にゆっくりと浸かって疲れをとるのも良いですが、体が冷えやすい冬場は、少し熱めのお湯や温泉にしっかりと浸かって、体を十分に温めてみることをオススメします。

 

このことに関して、たとえば免疫学で有名な安保徹氏は、お湯の温度は体温+四度が調度良いと『体温免疫力』のなかで述べています。

体温が三十六~三十七度の人であれば、一般的に言われるようにお湯は四十~四十二度が適温ですが、三十五度くらいしかない低体温の人であれば三十九度程度に調整しないと熱く感じてしまいます。

 

お風呂に入るといっても、すぐに湯から出てしまう「カラスの行水」では身体は温まりません。身体が芯まで温まるのにはそれなりの時間が必要になります。体温+四度のお湯に十分間、全身浴で湯船に浸かったり、半身浴で三十分から一時間浸かったりすることが効果的だと安保氏はいいます。

 

また、もし熱くなってつらいと感じたらその時は早めに出たほうが良いそうです。その時、めまいなど起こして転倒してしまわないように慎重に湯船から出ることが大切です。

 

体温免疫力

身体を温める習慣をもつことは、うつを防ぐために大切。

以上、ここまでうつの症状を少しでも和らげるために、体温を上げるための3つの習慣ついて書いてきましたが、頑張り過ぎたり、緊張しすぎたりすると、過度のストレスによって、知らない間に交感神経ばかりが優位になり、低体温になりやすくなると思われます。

 

そのため秋冬のような寒い季節に限らず、暖かい季節でも、冷たい食べ物や飲み物を摂りすぎてしまうことを避け、なるべく体を温めてヒトの体温である37度を保つ習慣をもつことが、うつの改善のためには必要であるように思われます。

 

体を温める習慣をもつことが、うつの改善のためには必要

体を温める習慣をもつことが、うつの改善のためには必要。

 

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低体温とうつの関係とは?

当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

今回は低体温とうつの関係について書いていきたいと思います。

 

寒さが厳しくなると、次第に低体温に陥りやすくなってきますが、うつの症状に悩まされている方は、季節に関係なくヒトの体温である37度よりも低い「低体温」である場合が多いともいいます。

また、曇りや雨の日が続き、太陽の光を十分に浴びることが出来ないなどの理由で、体温が低下し、からだが寒さを感じると、どういうわけか気持ちが後ろ向きになりますし、ひとつの物事に対して、ネガティブな考え方をしがちになります。

そのため、体温は、うつの症状と関係していると考えるほうが自然だと思われます。

このことに関して、たとえば医学博士の石原結實氏は、『病気が治る温め方』で以下のように述べています。

 

 アメリカのミラバイル医博は、「4000人の精神病患者を10年間追跡したら、自殺した人はみな、低体温だった」と発表しています。

 自殺する人は、ほかの精神疾患統合失調症、ノイローゼ)に比べ、うつ病の人が多いことがわかっています。最近、11月頃から3月頃まで、うつ病を患う「季節うつ病」が流行しています。

(略)

 つまり、「冷え」が精神病と深く、かかわっていることがわかります。(石原結實『病気が治る温め方』p172

 

石原結實『病気が治る温め方』

ストレスが低体温を引き起こす

したがってうつの症状を少しでも和らげるためには、低体温を避けることが望ましいと考えられるのですが、では、体温が低下してしまう原因は何でしょうか? 

低体温の原因としては、冷蔵庫やエアコンの普及、アイスクリームなど冷たい物の食べ過ぎといった、様々なものや生活習慣などが挙げられていますが、「低体温」の主な原因として考えられるのは、やはり「ストレス」だと思われます。

 

ちなみに一口に「ストレス」といっても、環境的ストレスや心理的ストレス、物理的ストレスなど幅広いですが、免疫学者の安保徹氏は『体温免疫力』のなかで、「ストレスが低体温の原因になるのは、ストレスがあると、交感神経を緊張させてしまうからです」としています。

 そして、「なんらかの原因で血流がとだえてしまうと、血液が十分に供給されず、体温が下がってしまいます」、「血流がとだえてしまう原因のひとつが、交感神経の緊張です」と述べています。

 

また、『体温を上げると健康になる!』の著者である齋藤真嗣医師は、「人間はストレス状態が長く続くと、自律神経のバランスや、ホルモンのバランスを崩してしまいます」とし、「ストレスが低体温をつくりだし、低体温が細胞にとってさらなるストレスになる」と述べています。

 

さらに、齋藤真嗣医師は以下のようにも述べています。

 

 人間は幸せを手に入れようと、いろいろなことに頑張りながらここまで進化してきました。でも、ちょっと頑張りすぎてしまったようです。

 私には、そのひずみが低体温となって、人間に本来の幸せに立ち返るよう教えてくれているような気がしてなりません。

 頑張って働いて、ストレスに耐えて、あなたの体はもう悲鳴を上げています。その悲鳴が「低体温」です。(齊藤真嗣『体温を上げると健康になる』p197

 

齊藤真嗣『体温を上げると健康になる』

頑張り過ぎている時ほど、ゆっくりと生きる

このようにストレスによって交感神経ばかりが優位になることは、低体温の原因になると言われているのですが、かといって部屋のなかでだらだらした生活ばかりを送ることで、副交感神経ばかりが優位になってしまえば、そのことも自律神経のバランスを崩すきっかけにもなってしまうとされています。

そのため、低体温を避けるために大切なのは、交感神経と副交感神経のバランスを取ることなのだと思われます。

しかし現代社会においては、時間に追われたり極度に緊張したりすることで交感神経ばかりが優位になってしまうことが多いと考えられます。

特にうつの症状に悩まされる方は、真面目で頑張り過ぎてしまう傾向があるため、心がつらいと感じる時はあまり無理せずに、意識的に深い呼吸一分間のマインドフルネス瞑想、時間があればゆっくりとした運動(ヨガやストレッチ、気功)などを行なって、副交感神経を優位にすることが必要になってくると思われます。

また、寒くてあまり外出する気力が起きない方は、部屋でスクワットをゆっくりと行ってみるのも、体温を上げるのには効果的です。

 

ちなみに、冷たいものを食べたり飲んだりすることも、やはり身体や腸を冷やしてしまう原因になってしまいますので、うつの症状を少しでも改善していくためには、冬はもちろんのこと、夏でも、冷たい物は避けたほうが賢明だと思われます。

 

そのほか、紅茶やココア、生姜湯など、からだを温めるとされる飲み物をこまめに飲むようにするのも、寒さ対策としてオススメです。

 

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うつ病とストレス、慢性炎症の関係とは?

当ブログではうつ病の予防と、うつの症状を食事と栄養(主に腸内フローラ・腸内環境改善糖質制限)、運動瞑想で治すための方法について書いています(あくまでうつの症状をやわらげるためのひとつの手段です)。

 

今回はうつ病とストレス、慢性炎症の関係について書いていきたいと思います。うつ病の発症にはストレスの存在が深く関わっていますが、ストレス自体がうつ病を引き起こすわけではなく、その過程には「慢性炎症」が関わっているとされています。

 

このことに関して、金子義保氏は『炎症は万病の元』のなかで以下のように述べています。

 

 ストレスは過食や運動と相互に影響し合いながら、快、不快の情報を脳の感情中枢(心の脳)に送ります。心の脳は、側坐核扁桃核、海馬などからなり、神経伝達物質、ホルモン、サイトカインなどを介して身体に重要な影響を及ぼします。

 慢性的な軽いストレスは、炎症性サイトカイン分泌を介して、心の脳に慢性炎症を引き起こしています。またステロイドホルモンの過剰分泌を介して、扁桃核、海馬などの神経細胞に慢性炎症や細胞死(アポトーシス)を引き起こし、うつ病の発症を促進させます。(金子義保『炎症は万病の元 生活習慣病の真実、医療の現実』p21

 

炎症は万病の元 生活習慣病の真実、医療の現実

慢性炎症とストレスの関係

また、現代の競争社会とお金中心の情報社会は、慢性的に私たちの心に不必要なストレスを与え続けてしまうように感じられますが、金子氏によれば、このこともやはりうつ病の発症に深く関与しているといいます。

 

 現代の競争社会は、人々に慢性的にストレスを与え続ける社会です。私たちは、特定の情報を刷り込まれ、意識的、あるいは無意識的に富みや名誉や地位を競う行動を続けています。人生で大きなことはただ一つ、それは何かに成功したくさんのマネーを手に入れること、その他のもの、友情、愛、名誉などは後からひとりでにやってくる、という情報に囲まれています。しかし、勝者は一%で、敗者は九九%、というのがこの社会の常であり、このような社会情報は、私たちの心の脳に慢性的にストレスを与え続けることになるのです。(金子義保『炎症は万病の元 生活習慣病の真実、医療の現実』p21

 

 うつの症状には、脳の炎症が関係していることについては、以前に書いた記事で取り上げましたが、脳だけではなく体内の様々な場所で起こっている慢性炎症が、私たちの心に悪影響を与え、そのことが、精神的な落ち込みを引き起こしていることも、十分考えられるように思います。

そのため、食生活の改善や適度な運動や瞑想などによって、ストレス対策としての身体と心のケアを行うことで、体内の慢性炎症を防いでいくことは、うつの症状緩和やうつ病の予防に効果的であるかもしれません。

 

 炎症には急性炎症と慢性炎症とがあります。急性炎症は、病原物質を排除して組織を元の状態に回復させる復旧型防御システムです。慢性炎症は組織の改変に伴うもので、適応型防御システムと考えられています。うまく適応できなければ組織や臓器の機能が失われ、生物固体はこの世から退場させられることになります。(金子義保『炎症は万病の元 生活習慣病の真実、医療の現実』p62

 

 最近の医学は、環境中の「免疫かく乱物質」が私たちの体内に軽い「慢性炎症」を引き起こし、生活習慣病を作り出している、ということを明らかにしています。この慢性炎症は、くすぶり型の軽い炎症で、動脈硬化、肥満、糖尿病などの原因となる「代謝炎症」あるいは「自然炎症」、がんやうつ病を引き起こす炎症、老化に伴って進行する「加齢炎症」などを包括する新しい概念です。この慢性炎症と、気管支炎、胃腸炎などの、普通に見られる急性炎症を合わせた広い意味での「炎症」は、生体が内外の危険因子を排除するための基本的な防御機構の発現であり、遺伝性疾患を除くほとんどの病と関連しています。(金子義保『炎症は万病の元 生活習慣病の真実、医療の現実』p2

 

以上が、うつ病とストレス、慢性炎症の関係についてです。

 

慢性炎症を抑えるための三つの生活習慣

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